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秋葉忠宏が低迷する清水エスパルスの監督を受けた理由「普通だったら受けなかったけど、成功体験があったのが大きい」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 秋葉は、その時、20年前の自分たちの戦いを思い浮かべた。選手を叱咤激励するコーチは、かつてアトランタ五輪で28年ぶりに五輪出場を果たし、歴史の扉を押し開いた選手のひとりだったのだ。アトランタ世代からは城彰二、中田英寿、川口能活らがフランスW杯に出場したが、秋葉はA代表には至らなかった。

――なぜ、A代表に届かなかったのでしょうか。

「僕はアトランタ五輪でオウンゴールをしたあと、心が壊れたんです。それがA代表にいけなかった理由のひとつであると思っています。あの大会までは海外の代表と戦って、基本的に技術やインテリジェンス、戦術とかで負ける気がしなかった。でも、アトランタの時のブラジルとナイジェリアは、努力しても埋まらない圧倒的な違いを感じました。身体能力を含め、この差は無理だって思ってしまった。でも、ゾノ(前園真聖)や城とかは、『世界との差はあとちょっとだな。もう少し時間があれば俺たちのほうが強い』と言うんです。この差ですよね」

――その意識の違いがA代表にいける選手の差であると。

「そう感じました。みんな、『世界が近い』というなかで、僕も『うんうん』とうなずいているんですけど、本当の気持ちは絶望感しかなかった。自分に矢印を向けることができず、世界のすごさから逃げた。自分から諦めてしまったんです。だから、指導者になったら絶対に逃げないと誓いました」

――オウンゴールのトラウマが、コーチをしている時、フラッシュバックしてしまうことはありましたか。

「フラッシュバックはないんですけど、リオ五輪のコロンビア戦で藤春(廣輝)がオウンゴールをしたんですよ。憔悴していた藤春に『おまえのせいじゃない。コーチがオウンゴールしたことがあるからこうなってしまったんだ』と声をかけたんです。五輪で選手としてもコーチとしてもそういう経験をしたのは自分しかいないんで、藤春には『これもいい経験だぞ』と肩を叩きました」

 リオ五輪の本大会では、試合中、手倉森監督から相談を受け、勝敗に影響を与えるようなやりとりをこなした。それもまた秋葉にとって貴重な経験になっている。

――リオ五輪では、大事な初戦のナイジェリア戦を4-5で失いました。

「初戦は難しかったですね。相手に4点とられた時、誠さんには、『このゲームを捨てるとは言わないですが、中2日で試合がくるので、選手を入れ替えて次に備え、日本の選手にこのピッチや雰囲気を慣れさせたらいいんじゃないですか』と伝えました。誠さんは、『そうだな。じゃカードをきっていくか』と僕の考えを支持してくれた。コロンビア戦も2-2になった時、『(勝ちを)とりにいくか』と誠さんに聞かれたのですが、『ドローなら3戦目勝てば可能性があります。でも、無理に点をとりに行って2敗したら終わりです。そのリスクをどうしますか』と伝えました。最終判断を下すのは誠さんですが、考え得る可能性や提言を冷静に言えたので自分の役割を果たせたかなと思います」

――手倉森監督の反応はどうだったのですか。

「ナイジェリア戦のあとは、『勝ちにいって、あのメンバーを引っ張って、中2日で試合したらもっと悲惨なことになっていた。お前みたいな経験がある奴が言ってくれて助かった』と言ってくれました。コロンビア戦の時は『お前が自信をもって言ってくれたんで、俺はドローで最後の望みをかけて戦うほうを選んだ』と言葉をかけてもらい、本当にうれしかったですね」

 コロンビア戦は、秋葉の提言を活かしてドローでいいという采配に切り替えた。3試合目にすべてをかけることを明確にし、選手も監督の考えを理解し、2-2のままで終えた。

――そういう提言はどこから出てくるのですか。

「アトランタ五輪を経験したのが大きいですね。あの時、ブラジルとハンガリーに勝って2勝1敗になった。でも、ナイジェリアに2-0で負け、得失点差で決勝トーナメントに進出できなかった。あの時、ああしておけばというのが選手ながら考えたことがあったし、それが経験として残ったので、誠さんにしっかり言えたのかなと思います」

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