川崎フロンターレの「絶対的守護神」チョン・ソンリョンとポジションを争う33歳・上福元直人の「異色な経歴」を紐解く
上福元直人(川崎フロンターレ)インタビュー前編
33歳になって初めて、上福元直人(かみふくもと・なおと)は自分が目指してきた、はたまた自分が知りたかった空気に触れている──。
今季、京都サンガF.C.から川崎フロンターレへの移籍を決断した理由だった。
「プロ12年目ですが、これまで自分はJ3、J2、J1と、さまざまなカテゴリーでプレーしてきました。選手として現役を終えるまでに、自分が目指しているものを知っているクラブでプレーしたかった。
近年のJリーグを牽引してきたフロンターレは、そこに最も近い存在であり、そこへ到達する術(すべ)を知っているクラブ。自分自身がそこに近づくために、今日まで試行錯誤してきましたが、フロンターレには自分に足りないものが多くあるのではないかと思ったことが大きかったです」
GK上福元直人(かみふくもと・なおと/33歳)この記事に関連する写真を見る そう堰(せき)を切ったあと、「うまく説明できずにすみません」と、上福元は謝る。彼が欲している「そこ」が何なのかは、十分すぎるほど伝わっていたから、敢えてこちらから言葉にした。
「それはタイトルということですか」と──。
上福元は「はい」とうなずいた。明確な表現を避けたのは、今季の川崎が苦しんでいる状況に、自責の念があったのだろう。
「これまでも自分はずっと、日本一を目指してきました。大分トリニータ時代にJ3を、徳島ヴォルティス時代にJ2を優勝していますが、決して日本一ではないというのが、頭の片隅にあって。
それを知ることはもちろん、それを達成するために、自分に何が必要なのか、もしくは何が足りないから達成できないのか──。それを手にしたいという自分への挑戦、興味、好奇心がありました」
キャリアを振り返れば、決して順風満帆とは言えない。ひとつしかないGKというポジションにおいて、上福元はプロになった2012年から、4年近くも出場機会を得られない時期を過ごしている。その間には、当時JFLだった町田ゼルビアに期限付き移籍しながら、なおも試合経験を積めない不遇も経験した。
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プロフィール
原田大輔 (はらだ・だいすけ)
スポーツライター。1977年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めたのち独立。Jリーグを中心に取材し、各クラブのオフィシャルメディアにも寄稿している。主な著書に『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』(小学館クリエイティブ)など。