野球少年がサッカーに転向し恩師との出会いでフットサル日本代表に 45歳で引退の金山友紀が築いてきた稀有な選手キャリア (4ページ目)
【Jリーガー転身のチャンスも】
2007年からはFリーグが開幕。三浦知良がフットサル日本代表に参戦した時には、代々木第一体育館に8,236人が集まった。
だが、現在のFリーグにその当時の勢いはない。2022-23シーズンのプレーオフ決勝は3試合合計で2,312人、1試合平均770人という入りだった。
クラブから収入がある年もあったが、クラブの経営状況によってそれは変わる。昨年、メインスポンサーが離れた町田は、今シーズンは選手に金銭的な補助はできなかったという。
金山には、一度だけ本気でフットサルを離れようとしたことがあった。それは木村氏が横浜F・マリノスの監督に就任した年だった。木村監督にJリーガー転身を薦められていたのだ。
「和司さんは、本気の戦力として考えてくれていました。『残り15分とかにお前が出て、パスが出たら面白いだろう』って。当時は足首にケガもしていて、痛み止めの注射を打ってプレーしているような状態だったんです。フットサルは経験値でなんとかなる自負があったけど、サッカーはどうだろうって。めっちゃ悩んだけど、フットサルを続けることにしました」
再びフットサル人気が高まることを、金山は強く願っている。
「僕がフットサルを始めた時は、『フットサル』って言っても『なんの猿?』って聞かれるような時代でした。でも、今は『フットサル』の五文字を見たら、競技の名前を指しているってほとんどの人がわかると思います。あとは、その文字がどれだけ輝いて見えるか。新聞とか、雑誌を見て『フットサル』っていう文字が目に入った時に、輝いているように見えることがすごく大事だと思うんです」
今季限りで現役を引退する金山だが、この先もスクールコーチとして、そして指導者として後進の育成に励んでいく。フットサルの五文字が、再び輝く日を夢見て。
金山友紀
かなやま・ゆうき/1977年9月2日生まれ。島根県浜田市出身。社会人チームでのサッカー活動から2000年にカスカヴェウ(現Fリーグ・ペスカドーラ町田)に加入。2007年のFリーグ発足以降もチームの中心としてプレーしてきた。フットサル日本代表では2004年と2008年のフットサルワールドカップに出場している。
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