知念慶はフロンターレにいたら「選手として終わっていくなって」アントラーズ移籍を伝えた家長昭博からは「心に響くメッセージ」が届いた (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by Getty Images

【新天地を鹿島に選んだ理由】

 これといったきっかけやタイミングがあったわけではない。だが、日々すごしていくなかで、自分の心境を実感した瞬間はあった。

「プロになって5年も経つと、その週の練習で自分が先発か控えかどうかは、肌感覚でわかるようになってくる。だから、スタメンで試合に出られるということがわかった時にはモチベーションが上がるはずなのに、『よっしゃ、やってやるぞ!』という気持ちが湧いてこなかった。

 心のどこかで、『今週、先発で頑張っても、次の週にはまた控えに戻ってしまうんだろうな』というくらいの感覚というか。どこかで、自分の立ち位置を自分で決めつけてしまっていました」

 知念はそれを自ら「甘え」と表現した。

「精神的に自分は甘いところが多いと自己分析しています。フロンターレの選手たちはみんな日々努力していますけど、自分はそこも『周りがやっているから自分も』というところがどこかにあった」

「だから」と、言葉を続ける。

「このままフロンターレにいたら、甘えてしまう、絶対に。自分もある程度、試合に絡んで、ある程度、試合に勝つことができたら、少なからずちょっとした満足感は得られてしまうと思ったんです」

 知念の「だから」はさらに続く。

「自分自身がやらなければ本当にやばいぞ、という環境に身を置こうと思ったんです。プロのサッカー選手なので、結果や数字を意識するところもありますけど、それ以上に自分がもっとやり続ける姿勢みたいなものを、自分のなかでも明確に決めなければいけないと思いました」

 出場試合数や得点数といった数字以上に、自分に対する強さを求めた理由だった。

「自分の性格的にも、本来はその場に居続けたほうがきっと楽というか、いいんでしょうけど、一度しかないサッカー人生なので、チャレンジしたいなって思ったんです」

 知念は「ある程度」から脱却しようと、移籍を決意した。新天地を鹿島に求めたのは、自分自身を追い込むためだった。

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