「すごいと言われて天狗になって...」33歳になった柿谷曜一朗が10代を振り返って「逃げ出したくなった」本音を吐露

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by ©TOKUSHIMA VORTIS

愛しているJ! Jリーグ2023開幕特集
柿谷曜一朗(徳島ヴォルティス)インタビュー前編

 正月明けの1月6日、いきなり飛び込んできたニュースにサッカーファンの誰もが驚いた。

『柿谷曜一朗、徳島ヴォルティス移籍』

 公式リリースが届くまで、まったく噂すら立っていなかった。しかも、発表と同時にクラブのツイッターにアップされた動画には、徳島の背番号「8」「YOICHIRO」とプリントされたユニフォームを見にまとい、本拠地ポカリスエットスタジアムに立つ柿谷本人の姿──。

 電撃移籍で13年ぶりに徳島に帰ってきた男は、どんな心境で新シーズンを迎えようとしているのか。復帰決断の理由、名古屋グランパスの2年間、セレッソ大阪での葛藤を語ってくれた。

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柿谷曜一朗が33歳になった今の心境を語ってくれた柿谷曜一朗が33歳になった今の心境を語ってくれたこの記事に関連する写真を見る── まさに"電撃"という言葉がふさわしい今回の移籍となりましたが、あらためて13年ぶりに徳島ヴォルティスに復帰した経緯を教えてください。

「去年は試合になかなか絡むことができず、コンディション的にもモチベーション的にもうまくいかない1年でした。もちろん、いろんな想いがあって名古屋に移籍して、名古屋ではすごく貴重な経験をさせてもらったと思っています。そのまま名古屋の歴史に名前を刻めるようにやっていきたい、という気持ちがあったのも事実です。

 でも、試合に出られなかったこともそうですし、年齢的なこともそう。このままくすぶったまま終わっていくんじゃなくて、もう一度、チャレンジしたいという気持ちがありました。そこで徳島から話をもらった時に、自分としてはもう一度サッカーをしたいと強く思ったし、徳島のためにやっていきたいという気持ちになったことが、今回移籍を決断した理由です」

── 名古屋での2年間はどういったものでしたか?

「自分がどういう気持ちで『セレッソでプレーしていたのか』ということを、あらためて気づかされた2年間でしたね。幼稚園の時からセレッソ大阪のユニホームを着てサッカーをしてきましたし、すべてのアカデミーを経験して、ほとんどすべてのスタッフとも関わってきました。

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プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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