工藤壮人からの最後のメッセージ。試練に打ち克ってきたそのサッカー人生を振り返る (2ページ目)
MLSで負った大ケガからの復活
そう言えば、工藤とは柏、東京、広島、山口といろんな町で会い、サッカー談義を重ねたが、彼はもてなしの心が強く、いつもとっておきの場所を選んでいた。そこで出される料理はどれもおいしく、「うまいね」と言うと、顔をくしゃくしゃにして笑った。
2013年、工藤は当時、アルベルト・ザッケローニが率いた日本代表にも選出されている。東アジア選手権では華々しい活躍だった。4試合2得点を記録し、ブラジルW杯に向けた同年4月の代表合宿にも招集されていた。本大会出場は叶わなかったが、2015年には北嶋秀明の記録を抜いて、クラブ歴代最多得点記録を更新、金字塔を打ち立てている。
そして2016年からはMLS(メジャーリーグサッカー)のバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍した。そこで受けた試練は尋常ではなかった。同年5月、シカゴ・ファイヤー戦で相手GKと激しく交錯、あごを骨折したのだ。
緊急入院した工藤は、その日のうちに折れたあごを正常な位置に戻す処置を施され、翌日にはプレートを入れる出術を受けた。上下のあごをワイヤーで固定。骨がつくまでは、噛む動きができなくなった。日々の食事は妻がミキサーにかけた流動食で、ワイヤーを取るまでの1カ月は不自由な生活が続いた。退化したあごは弱って開かず、力を入れても指一本分も口に入らなかった。
しかし、工藤は精力的に復帰に向けて取り組んだ。全治4カ月と言われたアクシデントと苦闘し、2カ月で復帰した。そして2試合目で得点を記録。それもヘディングで飛び込み、合わせたボールだった。「どうしても自分の力を見せたかった」と、一切の怯懦(きょうだ)なしにゴールへ飛び込んだ。
彼が小3の時のエピソードとどこかつながった。
工藤は柏の育成組織入団テストを受けたが、その1年前、三つ年上の兄がテストで落とされる姿を目の当たりにしていた。その光景が忘れられないほど悔しかった。以来、「自分が入ってみせる!」と"敵討ち"を誓ったのだという。学校が終わるとすぐに帰宅し、帰ってきた父親と特訓を積んでいる。ひとりでもかすかな街灯で目を凝らし、木々を敵に見立てたドリブルを繰り返した。
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