ヴァンフォーレ甲府を見守って28年。県民みんなで支え続けたからこそ、天から「まさか!」が降りてきた

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 山梨・甲府に生まれ、1995年のヴァンフォーレ甲府の誕生から、ずっとチームの危機や浮き沈みを見守ってきたサッカージャーナリストの中山淳氏が、クラブ会員としての視点もまじえて、その想いを特別寄稿してくれた。

   ※   ※   ※   ※   ※

 ヴァンフォーレ甲府5人目のキッカー、山本英臣が蹴ったボールがネットを揺らした時の、あの北側スタンドの爆発的な熱量。そうれはもう、歓喜なんて二文字だけでは表現できないくらいのレベルのものだった。

 選手たちが喜ぶピッチの光景ではなくて、そっちを眺めた瞬間に、グッときた。思わず、熱いものが込み上げてきた。

 こんなふうに心の底から素直に喜べることなんて、一体、いつ以来のことだろうか。

支えてくれたファンに向けて感謝を伝える選手たち支えてくれたファンに向けて感謝を伝える選手たちこの記事に関連する写真を見る 選手やスタッフが集まって天皇杯優勝の記念撮影が行なわれている時、チャンピオンボードの前に座って天皇杯を掲げているクラブ最高顧問の海野(一幸)さんを見て、思い出した。たしかあれは、甲府が初めてJ1に昇格(2006年)して、清水エスパルスとの記念すべき開幕戦を目前に控えた時期だったと思う。

 当時甲府の社長だった海野さんは、2005年に起きた奇跡(※)や、J1クラブとして初めて経験したオフシーズンの大変さなんかを語ってくれたのだが、その時に聞いた言葉が、ふと脳裏に蘇った。

※シーズン残り3試合から最終節、J1・J2入れ替え戦にかけて甲府が大番狂わせを演じたジャイアントキリング。

「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂。そして、まさか!」

 たしか、知人からの年賀状に書いてあった言葉として話していたが、いやいや、また甲府がその「まさか!」を経験させてくれた。

 だって、天皇杯優勝ですよ。

 あの時、甲府にとってJ1昇格はたしかに画期的なことだったし、海野さんのいう「まさか!」だった。でも、その後もJ1昇格は2度経験しているし、3度目のJ1は5年間も続いたのだから、もう「まさか!」ではなくて、それこそ昇格と降格の繰り返しは、もはや甲府にとって「上り坂」と「下り坂」みたいな日常的なものになった。

1 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る