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ジーコはなぜこの機に富山県にサッカースクールを開講したのか。「これは日本への恩返し」 (3ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 最後に、今後の計画について尋ねてみた。

「実はこの射水市のサッカースクールは研究機関の意味も担っている。ここで試行錯誤しながら、日本人に一番合った指導方法を模索し、ゆくゆくは日本各地にサッカースクールを設けたいと思っている。次は沖縄にオープンすることがほぼ決まっている。

 そして私は選手だけでなく、コーチも育てていきたいと思っている。私も、スクールの責任者である息子のティアゴも、常に子供たちを直接指導できるわけではない。私の想いを汲んでくれた日本人コーチたちが、日本中の子供たちにジーコのサッカーと理念を広めてくれていったら嬉しく思う。

 私は日本でまず選手としてプレーし、クラブの監督となり、代表の監督となった。今回子供たちの育成に関わることで、日本と私の関わり合いのラストピースが揃ったような気がしているよ」

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