ジーコはなぜこの機に富山県にサッカースクールを開講したのか。「これは日本への恩返し」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

そこは柳沢敦の故郷でもあった

 日本初のジーコのサッカースクールが開かれる富山県射水市は外国人の多い土地柄だ。パキスタン、ロシア、フィリピン、中国、ブラジル......。スクールの代表を務める湯川ルシレーネさんもブラジル出身の女性で、外国人も多く登録する人材派遣会社を経営している。

「このスクールに通う子供たちは、大きく分けて3つのグループがあると思う。1つは日本人、もうひとつはブラジル人、そしてその他の国籍の子供たちだ。彼らはサッカーへの造詣も、文化の背景も、考え方も違うだろう。しかし、私は彼らを区別することなく指導していくつもりだ。そのことで国籍を超え、肌の色を超え、自分たちはみな同じなのだということをまず感じとってほしい」(ジーコ)

 ところで、なぜ射水市なのだろうか。富山県はジーコとはあまり縁のない場所のように思えるが......。

「県や市がそういったプロジェクトを考えていて、それに賛同した湯川さんが私に話を持ちかけてきたんだ。非常に興味深い話だったが、私はそれまで射水市に行ったことはなく、多少の不安があった。この町でどのくらいサッカーの人気があるのかも知らなかった。

 しかし、さまざまな国の子供がいることに加え、もうひとつ決め手となったのは、この町にあるすばらしいスポーツ施設だ。最新の人工芝を敷いたフィールドが2面あり、夜間照明も備えられている。それに全天候型フットサル場1面。町や県のやる気が感じられた。『ジーコがサッカースクールを開設することになったから、ハイレベルの施設を作ったのか』と聞いてくる人もいるが、そうではない。フットボールセンターは町のためにすでに存在していて、私はそれを利用させてもらうだけだ。初めて実際にセンターを見た時は、嬉しい驚きだったよ。施設はとても近代的で、つけ加えることは何もなかった」

 そういえば射水市は元鹿島アントラーズの柳沢敦の出身地でもある。

「柳沢の故郷であることはあとで知ったが、彼とは特にこのスクールの話はしていない。しかし、これは幸運な偶然だと思った。柳沢を生み出した町ならば、きっとサッカーの土壌はあるはずだし、子供たちも最高の成功例が近くにあることから、きっとモチベーションも上がるだろう」

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