中村憲剛と佐藤寿人がリーダーに必要なものを力説。「自分に甘いキャプテンの話なんて、誰も耳を傾けない」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki 佐々木麻里子●ヘア&メイク Hair & Make up by Sasaki Mariko

 最初は嫌われていましたけど、最終的には昇格という成果を勝ち獲れたこともあって、いい関係を築くことができました。でもやっぱり、嫌われたくないじゃないですか。けっこう勇気がいりましたね。

 ただ、救いだったのは、ナラさん(楢﨑正剛)だったり、小林裕紀(現・大分トリニータ)だったり、フォローしてくれる人たちがいたこと。ひとりでは無理だったと思います。だからリーダーって言われますけど、ひとりの力だけでは組織を引っ張っていくことはできないと思います。

中村 そうだね。本気でその集団のベクトルを合わせ、目標を達成させるためには、自分の周りに最低でも3人くらいは心を開いてなんでも話せる人が必要だと思っていて。同じ志(こころざし)の人をどれだけ増やせるか。僕の場合は宏樹さんがいたし、いなくなってからも悠や登里(享平)などが支えてくれていたと思います。

 ひとつ寿人の話を聞いて思ったのは、自分は同じチームで18年やってきたから、ほかのチームに入る経験をしたことがないのでわからないんだけど、外から入ってきた選手が「これは違う」と感じてしまうような環境がプロでもあるというのは、ちょっと想像がつかなかった。

 みんなプロなんだから、基準はそこまで大差ないだろうと。ただ、話を聞いていて、フロンターレは基準がそういう意味ではしっかりしている、ということなのかなとも感じたよ。

佐藤 当たり前の基準が高いんでしょうね。ピッチ外も含めてクラブが選手に求める基準が高いし、それに伴って選手のベースも高くなっていく。

中村 自分は、フロンターレに入ってここで優勝したい、ここで活躍したいと本気で思えるような組織、来てくれた人たちが伸びるような組織にしたいし、優勝するためにどうするかと常に考えていたし、周りにもそれを要求し続けた。だからこそ基準はどんどん上がっていくのかなと。

佐藤 細かいことですけど、試合後に場内を一周する時もちゃんと挨拶して、手を振ってくれる人たちに反応するのが本来の姿。でも、当時の名古屋はそれすらもできていなかった。進んでやっているというよりも、やらされているような感じだったんですよね。

4 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る