宇佐美貴史「自分を更地にする」。王者からオファー受けるも残留を決めたエースの覚悟 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by (c)GAMBA OSAKA

 ポジショニングやボールの動かし方などの"狙い"が明確に提示されたうえで、選手の個性が置き去りにされずにチームが形づくられていっていることも、選手が迷いなく、躍動感をもってプレーすることにつながっている。これを続けていけば、どんどん前線に人が出ていくような面白いサッカーができるようになるという確信もあります。

 ただ、それがすぐに結果につながるほど、甘い世界ではないというか。近年、継続のもとで結果を出してきた川崎フロンターレや横浜F・マリノスに、たった1、2カ月積み上げただけの僕らがすぐに追いつけるとは思っていない。

 そう考えてもやはり大事なのはこの先、日々の練習で、また公式戦を戦いながら、自分たちがどんな"積み上げ"をしていけるか。そんなふうに、昨日より今日、今日より明日と少しずつでも何かを積み上げていくことの先に、理想とする結果があればいいし、それを1年、2年と継続していくことで、『ガンバのサッカー』と呼ばれるものが、本当の意味で形づくられていくんじゃないかなと思っています」

 昨年のシーズン終了後、宇佐美にはディフェンディングチャンピオンである川崎からビッグオファーが届いた。そのことについて彼自身は「今、自分がガンバにいることがすべて」と話すに留めたが、答えを出すには時間を要したと聞く。

 30歳を迎える自身のキャリア、川崎のサッカースタイル、点をとることへの渇望、幼少の頃から憧れ続けた家長昭博の存在――。それらを総合的に考えても、一プロサッカー選手として頭を悩ませたのは当然だろう。

 だが、結果的に宇佐美は今もガンバにいる。そこに、どれほどの思いと覚悟を秘めたのか。きっと我々は今シーズンのピッチで目の当たりにすることになる。

photo by (c)GAMBA OSAKAphoto by (c)GAMBA OSAKAこの記事に関連する写真を見る宇佐美貴史(うさみ・たかし)
1992年5月6日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪のアカデミー育ちのエリート。高校2年時にトップチームに昇格し、20歳になったばかりでドイツの名門バイエルン・ミュンヘンへ期限付き移籍した。その後、ホッフェンハイム、ガンバ、アウクスブルク、デュッセルドルフでプレー。2019年から再び古巣のガンバに復帰。チームの"顔"として奮闘している。

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