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大久保嘉人は別人格を演じていた。「イエローや退場がなければ200得点を超えていた。でも残念だと思わない」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by スポニチ/アフロ

【FC東京移籍は反対された】

 大久保が現役時代を振り返り、一番感謝しているのが「嫁さん」だと言う。

「自分はやんちゃで、移籍の時も自分ひとりで勝手に決めた。俺に振り回されながら文句も言わずに、たまに言うけど(苦笑)、ついてきてくれた。正直、妻がいなければここまでやれていなかったです」

 妻・莉瑛さんは全力で大久保嘉人のサッカーをサポートしてくれた。

 だが、一度、本気でキレられたことがあった。川崎フロンターレからFC東京に移籍を決めた時だ。フロンターレでの2年目の終わり、FC東京からオファーが届いた。熱烈なオファーに気持ちが揺らいだが、そのことを察した妻が中村憲剛や大島僚太を家に呼んで説得をお願いした。その時は、残留を決めた。そして、4年目のシーズン終わり、またFC東京からオファーが届いた。

「その時は、妻には内緒で、あとはハンコを押すだけになってから、話をしたんですよ。そうしたら『マジでやめて』と言われて。いい選手ばかりだし、憲剛さんとは家族ぐるみで仲がよかった。スタジアムの雰囲気は最高でサポーターから応援してもらっているのに、なぜ?という怒りしかなかったんだろうね(苦笑)。それで、憲剛さんに電話して、『私じゃもう無理。憲剛さんしか止められない』と説得をお願いしたけど、その時はもう遅かった。フロンターレは好きだったけど、子どもの頃からいろんなところでチャレンジしたい気持ちがあったので、その時はFC東京で頑張ろうと思ったんです」

 川崎で3年連続得点王になり、プレーヤーとして輝いたが、大久保にとってはシーズンが終われば過去のこと。サッカー選手として、さらに成長するためには、安定はその妨げになると思っていたのだ。

「FC東京に行って活躍できなかったけど、後悔はしていない。そこで自分に足りないものがわかったし、それを次のチームで活かせばいいと思っていた。そうして、引退するまで少しずつですけど、大久保嘉人は大きくなっていったと思うんです」

 それもまた大久保嘉人を確立させるためには必要なことだったのだ。

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