「日本でプレーしたかった」川崎Fのレアンドロ・ダミアン。来日後は絶叫マシンやカレーを楽しみ、速いサッカーにも適応した
川崎フロンターレ レアンドロ・ダミアン インタビュー 後編
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来日して3シーズン目となる、川崎フロンターレのレアンドロ・ダミアン。日本での生活にも慣れ、日本のサッカーにも適応して今季の大活躍があった。変わらぬ謙虚な姿勢で、来シーズン以降の活躍も目指している。
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「(今後は)ひとまず35歳くらいまでを目標にやっていきたい」というレアンドロ・ダミアンこの記事に関連する写真を見る 21歳の時、コパ・リベルタドーレス決勝でプロ初得点を記録していきなり南米王者になったレアンドロ・ダミアンは、その2年後にはブラジル代表としてロンドン五輪に出場した。
ネイマールと彼が2トップを組み、マルセロやチアゴ・シウバらが後方から支えたチームは、決勝に進出したものの、メキシコに敗れて準優勝に終わった。それはレアンドロ・ダミアンにとって「人生で一番悔しかった試合」となってしまったが、彼はこの大会で得点王に輝いた。
プロ3年目にして、クラブと五輪代表で得難いタイトルを手にしたストライカーには、欧州のクラブからの誘いもあったはずだ。だがそのキャリアでは、スペインの中堅クラブ、ベティスに半年弱のローンで在籍したのが、欧州での唯一の経験となっている。
「正直に明かすと、インテルナシオナルに所属していた時には、ヨーロッパのクラブからたくさんのオファーを受けました」と本人は明かす。
「ただ当時の社長から、移籍をしないで欲しいと言われていたので、なかなか出にくい状況でした。でも自分はそれに不平を言うつもりはない。ブラジルに残ったからこそ、得られたものが多かったし、母国でもいいキャリアを積めていましたから」
そして2018年後半に、川崎フロンターレからオファーを受けた。
「以前から、日本でプレーしてみたいと考えていました。実際に声をかけてもらった時に、クラブについて調べたり、かつてフロンターレでプレーしたティンガ選手に話を聞いたりしました。すると、川崎がJリーグを2連覇するなど、日本で急成長しているクラブだとわかりました。そして家族全員で川崎に行こうと決めたのです」
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