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クーデターに抗議したミャンマー人選手の今。横浜の地でミャンマー人初のJリーガーを目指す (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 先述した通り、代表クラスのサッカー選手も容赦なく国軍に殺害されている。

 命がけで勇気を与えてくれたピエリアンアウンを助けないといけない、と立ち上がったのは、在日ミャンマー人の人々だった。当初は、逮捕を覚悟の上で帰国する気持ちでいた代表GKに、人を介してスマートフォンを差し入れ、命を粗末にしてはいけない、日本に残るという方法があると、メッセージを送り続けたのだ。

 ひとつの偶然であるが、ピエリアンアウンが3本指ポーズを出した5月28日、日本政府は危険なミャンマー情勢を鑑みて、ミャンマー人に対して、緊急避難措置として在留、就労を認める方針を打ち出していた。これに準じてビザの切り替えができれば6カ月の在留と就労が可能になる。

 何度も葛藤し、迷いながらピエリアンアウンは6月15日、大阪でW杯2次予選最後の試合が終わった後、宿泊先のホテルを出て保護を求めることを決意した。外部の支援者と連絡を取り合い、脱出の手はずを整えていた。

 ところが、これを察知したミャンマー協会のスタッフによって阻止されてしまう。ホテルの外に出ようとする前に強引に部屋に連れ戻されて、以降は軟禁状態に置かれた。残されたチャンスは翌日しかなくなった。

 16日、深夜の帰国便に乗るまでに2回の脱出機会があった。一度目は、ホテル自室から出られる19時の食事の時間、もうひとつが関西国際空港のイミグレーションで日本に残ると宣言することであった。しかし、19時のタイミングは再び、ミャンマー協会の監視者によって引き戻された。部屋に戻された瞬間、彼の気持ちは切れてしまった。「もういいと思った」

 もとより、代表チームは国軍ではなく、「市民とともにある」ということをアピールできれば、逮捕を覚悟して帰国する気持ちでいた。ずっと励まし寄り添ってくれた落合の妻に「お姉さん、いろいろサポートしてくれたのにごめんなさい。もう帰ることにしました」とメッセージを送った。

 関西国際空港で待っていた日本人支援者や弁護士もまたバスから降りたピエリアンアウンが自分たちに向かって両手を合わせるのを目撃している。それは「すみません。もう入管でも日本に残る意志は示しません」という意図だった。もしかしたら、GKというポジションが影響をしているのかもしれないが、常に周囲への目配りや気遣いを忘れない性格である。これ以上、自分のために多くの人に動いてもらうことが憚(はばか)られたという。

 しかし、支援者は決して諦めなかった。「彼をこのままむざむざと逮捕させるわけにはいかない」。返信がなくとも、既読がつかなくとも彼が保持するスマホに一方的にメッセージを送り続けた。「イミグレーションで伝えるだけ」「そこではあなたを邪魔する人はもういない」「職員にここに書いた日本語を出して見せなさい」「これは英語」それでも返信は一切なかった。

 ここまでか。帰国後に訊くであろう凄惨なニュースを覚悟し始めた時、一本の写メが送られてきた。搭乗便のチェックインカウンターの画だった。メッセージは「ここで見せればいいの?」

 見せる!ということは、残留する気持ちが再び芽生えたのか! そこからは冷静にアドバイスを送り続けた。「そこではなく、次にパスポートの提示を求められるところ」

 ついにイミグレーションに来て職員と一対一になると英語で「私は帰りたくありません」と伝えた。「ミャンマーへ」という言葉は隣のブースにコーチが並んでいたので、怖くて言えなかった。しかし、これで十分だった。意志は伝わり、別室での質問後、保護された。

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