2021.08.14

クーデター抗議のミャンマー人選手。支援に「そこまで、私の人生について考えて下さったことに心から感謝します」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

国歌斉唱時に3本指の抗議ポーズ
ミャンマー人選手の今 後編

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サッカーW杯アジア2次予選の日本対ミャンマー戦。ミャンマー代表のGK、ピエリアンアウンは国家斉唱時、母国で起こった軍事クーデターへの抗議を意味する3本指を掲げた。帰国を拒否し、日本政府に保護を求めた彼は支援者の協力を得ながら、ミャンマー人初のJリーガーへの道を模索していた――。ジャーナリストであり、ノンフィクションライターでもある木村元彦が、彼の現在の姿に迫る。

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子どもたちとサッカーに興じるピエリアンアウン。その表情は穏やかだ。子どもたちとサッカーに興じるピエリアンアウン。その表情は穏やかだ。"

 私はこれまで、ハンガリーのプスカシュ、チェコスロバキアのクビック、アルバニアのバタなど、政治亡命をして新天地で活躍を続けた選手についての記事をいくつか書いてきた。ピエリアンアウンと彼らの決定的な違いは、先述の3人は冷戦時代に名だたる東欧列強の代表選手としての不動の評価を得ており、西側諸国(プスカシュはスペイン、クビックはイタリア、バタはフランス)へ亡命しても大けがでもしない限り、トップリーグのクラブがオファーを出すことは保証されていたのに対し、ピエリアンアウンの場合は、母国を思う人道の叫びが最初にあり、サッカー選手として新天地で約束されたものは何もなかった。まさにゼロからの挑戦となる。

 YSCCでの練習最終日、同じGKの選手が積極的にコミュニケーションをとってくれるのが、ピエリアンアウンにとっては嬉しかった。慣れない練習メニューも丁寧に教えてもらえることで、その意図が、頭に入ってくる。この日、練習場には担当の渡邉彰悟弁護士が駆けつけて来た。

 渡邉弁護士は知る人ぞ知る、在日ビルマ人難民申請弁護団事務局長として数多くのミャンマー難民を救出してきた法律家である。何より、ロヒンギャやカチン、カレンといった少数民族の置かれた複雑なミャンマー情勢に精通している。出身国の情報についてはいっぱしの記者以上に現場も踏み、数多くのニュースソースを持っている弁護士であり、ピエリアンアウンの窮状については当初より、サポートを施してきた。今回は練習参加を許されたクラブに対する挨拶と激励を兼ねて、横浜まで来訪したのである。

「ピエからは本当に真面目な印象を受けますね。私がミャンマーの問題に取り組み始めた頃に出逢った人たちを思い出します」。1988年の民主化運動をけん引した人々、いわゆる8888世代のミャンマー人たちを想起するという。渡邉はゴール裏に流れてきたボールを器用にインサイドでピッチに戻した。

 余談になるが、渡邉は高校サッカー界の超名門、清水東の出身で、後に日本代表となる長澤和明(ジュビロ磐田初代監督、娘は女優の長澤まさみ)を擁して高校選手権で準優勝を成し遂げた黄金世代の一学年下の世代で高校時代を過ごしている。渡邉自身はバレー部のエースであったが、清水東の校内サッカー大会で得点王になるなど、サッカーに対する親和性は高い。弁護士は吉野代表と練習に見入りながら、入管関係における一般的なアドバイスを送り、法的な手続きなどは、いつでも相談に乗りますと力強いエールを送った。

 すべての練習メニューが終わり、初めて報道陣に対して囲みのインタビューが行なわれた。練習に集中できるように、これまで取材は解禁されていなかった。「私に練習参加を認めて下さったYSCCの皆さんにまずお礼を言いたいです。私自身のプレーの質についてはこれから自分の課題としてしっかりと取り組んでいきたいです」。ピエリアンアウンの口からは、自省する言葉が続いた。普段から、アルコールは一滴も口にせず、ストイックにトレーニング環境を求め続けてきたが、3日の間に納得できるプレーを出し切ることができなかったことが心底悔しそうであった。

 吉野代表は「まずはサッカーができて笑顔になってくれたのは、よかったかなと思います」と労い、監督のシュタルフ悠紀は「また一緒にやりたいと思う。最初は言葉が通じなくともサッカーは共通語だから。日本では楽しくやってほしい」と励ました。

 気になるクラブとしての評価と加入についての合否は「約2週間後に発表します」と吉野のほうから告げられた。