クーデターに抗議したミャンマー人選手の今。横浜の地でミャンマー人初のJリーガーを目指す
国歌斉唱時に3本指の抗議ポーズ
ミャンマー人選手の今 前編
2021年5月28日、サッカーW杯アジア2次予選の日本対ミャンマー戦。ミャンマー代表のGK、ピエリアンアウンは、国家斉唱時、母国で起こった軍事クーデターへの抗議を意味する3本指を掲げた。6月16日、帰国便への搭乗を拒み、関西国際空港で日本政府に保護を求めた。難民申請をしている彼は、その後、どこで何をしているのか――。ジャーナリストであり、ノンフィクションライターでもある木村元彦が迫る。
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帰国を拒否し、日本に残る道を選んだサッカーのミャンマー代表、ピエリアンアウン。報道陣に向けて3本指を掲げる。 7月6日、ピエリアンアウンは落合清司の運転する車で横浜に向かっていた。落合はミャンマー人の妻とともにこれまで心身ともにピエリアンアウンを支えてきた人物である。この日は翌日に控えたYSCC横浜の練習参加に必要不可欠なPCR検査の陰性証明書を代々木のクリニックで受け取り、その足で事務所に戻って本人を乗車させ、アクセルを踏み込んだ。
元高校教師であった落合は2002年に妻が立ち上げたNPO法人を夫婦で運営し、今日に至るまで日本とミャンマーの文化交流、草の根支援の架け橋となってきた。妻は今回のピエリアンアウンの脱出劇の最後の決意を後押しした人物である。
ここに至るまでのおさらいをしよう。ミャンマー代表チームのGKとして来日していたピエリアンアウンは5月の日本戦の際、軍事クーデターに抗議の意志を表明する3本指のポーズを示した。「軍事政権は罪のない市民を家畜のように殺害し続けている。サッカーの代表チームはその手先と思われたくなかった。私たち選手は日本に行く前にミャンマーサッカー協会に『国軍政治と我々は別である』という声明を出して欲しいと頼んだのだけれど、それをしてくれなかった。だから自分で行なおうと決めていた」(ピエリアンアウン)
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