クーデターに抗議したミャンマー人選手の今。横浜の地でミャンマー人初のJリーガーを目指す (2ページ目)
この時点で、すでに約800人の市民が国軍の銃撃によって殺害されていた。サッカーの代表選手も例外ではなく、誰であろうと国軍の無法に異を唱える者は容赦なく撃ち殺された。幹部はともかく、なぜ、ミャンマー軍の末端兵士が同じ階層である一般市民を平気で殺害できるのか? 理解しがたいものがあるが、その背景を知ると戦慄しながら、納得してしまう。
ミャンマー国軍は、1948年の独立以来、70年以上にわたって、他国の軍隊ではなく、同じ国民である国内の諸勢力を敵として、 戦闘を続けてきた。これは他に類をみない特殊な軍隊である。そして傘下には国軍系複合企業体なる巨大な利権を築いている。軍および関係者とその家族は国民のなかに支持基盤を作らずとも、特権階級として自分たちの利権だけで生きていける。そんな国軍にとってクーデターに抗議する市民の虐殺は「害虫の駆除」(ゾー・ミン・トゥ国軍報道官の発言)でしかなかった。
軍事独裁政権にとってW杯予選に代表チームを送り込むことは、自分たちをプロパガンダする上で格好の材料であった。国外でプレーする選手たちはこれに反発して召集をボイコット。国内リーグに所属する選手たちは日本に連れて来られたが、ピエリアンアウンはこれを許せなかった。国軍のためにプレーをしないという意志表示である。言うなれば、サッカーに政治を持ち込んだのではなく、サッカーに政治を持ち込ませないために3本指を指し示したのである。
この映像は世界中に報道され、国内外のミャンマー人に奮い立たせるような勇気を与えた。これは政治ではない。無辜(むこ)なる市民を殺害するなという人類普遍の叫びである。しかし、一方でミャンマー国軍政府を激怒させたと言われる。「帰国すれば、逮捕されて拷問の上、そのまま殺害されかねない」と語ったのは自身も約一カ月間、不当にインセイン刑務所に拘束されていたジャーナリストの北角(きたずみ)裕樹である。
「政治犯に対する拷問にはひとつのやり方があって、後ろ手に縛って、その人間にとって最も大切なものを貶める言辞を浴びせて追いつめていきます。彼の場合は『二度とサッカーのできない身体にしてやる』という脅しと同時に、腕を折る、足を傷つける等の暴力がかなりの確率で行なわれたことでしょう」
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