稲本潤一、19年前のアーセナル移籍。残酷なまでの現実を知った (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO


 後々振り返ればいい経験でしたけど、その1年に関して言えば、ほとんどあきらめていました。シーズン後にワールドカップ(日韓大会)があるから、コンディションだけは保っておこうと思ってましたけど、チーム内の競争に勝とうという気持ちは徐々に薄れていきました」

 レベルの違いに愕然とし、培ってきた自信は木っ端みじん打ち砕かれた。

 この年アーセナルは、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成。稲本はリーグカップ2試合に出場したのみに終わり、翌年、同じプレミアリーグのフルアムに移籍する。以降、アーセナルでプレーする機会は訪れなかった。

 それでも稲本は、海外でプレーを続ける道を選択した。フルアム、WBA、カーディフ・シティと渡り歩き、その後、トルコ(ガラタサライ)、ドイツ(フランクフルト)、フランス(レンヌ)でもプレー。9シーズンにわたって欧州にとどまり続けたのだ。

「なかなか行けるチャンスがないなかで、すぐに日本に帰るのはもったいないと思っていました。最悪、日本のどこかのチームが取ってくれるだろうという思いもありましたけど、海外でオファーがあるかぎりは、そこでやり続けようと考えていました」

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