来日の夢が叶ったベガルタ仙台シマオ・マテは「地下鉄に驚いた」 (3ページ目)

  • 井川洋一●構成・文 text by Igawa Yoichi
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

「最初は率直に言って、ちょっと不思議に思ったよ」と言った時、シマオの表情はにこにこから、にやにやに変わった。口調は変わらず、彼の母国で親しまれているティータイムを想起させるように、ゆったりとして柔らかい。モザンビークの首都マプトには、息を飲むほどに美しい海岸線もあるらしい。そんな場所で育ったおおらかなシマオを最初に驚かせたのは、時間や予定の感覚だったという。

「日本に来るのは夢だった」とシマオ・マテは言う photo by Getty Images「日本に来るのは夢だった」とシマオ・マテは言う photo by Getty Images「まず、必ず時刻どおりにくる地下鉄には、本当に驚いたよ! そんな国はほかにないだろうね。それから僕の印象では、日本人の多くは1日が始まる前に、その日のスケジュールが決まっている。でも僕のようなプロのサッカー選手は、練習が終わって、家族や友人に電話して、今からランチでも行こうよと、気軽に誘ったりしたい。でもこっちの人は、急にスケジュールを決めるのが好きじゃないでしょ、一般的に。たとえばあなたを誘うには、1週間前に連絡しなきゃいけないでしょ?(笑)」

 他者への敬意の払い方にも、びっくりした。もちろんよい価値観ではあるんだけど、僕にとってそれは大きな衝撃だった。ちょっと過剰というか。たとえば、僕は地下鉄やレストランで普通に大きな声で話したいのに、周囲を気にしてか、そんな風にしている人は誰もいない。だから僕も静かにしなければいけないんだろうな、と。

 サッカーのトレーニング場やスタジアムは、もちろん大きな声を出していい場所だけど、最初は日本語をなにひとつ知らなかったので、今度はその難しさがあった。でもラッキーなことに、ベガルタのチームメイトはものすごく歓迎してくれた。彼らはありのままの僕を受け入れてくれたんだ。シマオ、大声を出したければ、出せばいい。叫びたければ、叫ぶんだ、とね(笑)」

 そんな仲間の助けもあり、シマオは初夏から本領を発揮しだすと、すぐさまチームに不可欠な存在となっていったのだった。

(つづく)

シマオ・マテ
Simao Mate/1988年6月23日生まれ。モザンビーク・マプト出身。ベガルタ仙台所属のMF&DF。19歳の時にギリシャのパナシナイコスでキャリアをスタートさせ、ヨーロッパとアジアで活躍。2019年シーズンから仙台でプレーしている。パナシナイコス(ギリシャ)→山東魯能(中国)→レバンテ(スペイン)→アル・アハリ(カタール)

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