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永井秀樹が明かす突然の監督就任の裏側。
ヴェルディ再建へ腹をくくった (3ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

 翌7月16日(火)――。

 朝一番、トップチームのヘッドコーチでもある親友の藤吉信次と一緒に、羽生社長と会うことになった。

 永井は、羽生社長にトップチーム監督就任をクラブユース選手権後にできないかを相談した。羽生社長は、永井の気持ちを汲みながらも、やはり早急にトップチームの監督として指揮を執ってほしい意向を示し、永井はそれだけクラブは緊急を要する事態にあるのだと察した。

 羽生社長自身もヴェルディが親会社の撤退による経営危機に陥った2010年、Jリーグ事務局長という立場にありながらヴェルディ再建を託された経歴を持っていた。

 羽生氏は史上初となる事実上のJリーグ直轄運営を行なうにあたり、Jリーグ事務局長と兼務でヴェルディの社長に就任し、およそ4億の借金を抱えていたヴェルディ存続のためスポンサー獲得に奔走した。個人的な伝(つて)まで頼って資金集めに駆け回るなど満身創痍で戦い続け、そして、厳しいと言われていたヴェルディ存続という大仕事を実現してのけたのだった。

 永井の脳裏には、「日本サッカーのためにも伝統あるクラブは潰せない」という思いのもと、人知れず苦労を背負い続けた当時の羽生氏の姿が浮かんだ。

 羽生氏は現在、Jリーグ事務局長の職を辞してヴェルディの社長業に専念し、再建に尽力している。永井は、今もヴェルディが存在し続ける最大の功労者からのお願いであるならば、「何を差し置いても受けるべきではないか。迷うことなど許されない」と思った。

 そして、腹を括(くく)った。

「わかりました。明日からやらせていただきます」

 ただし現実は、この時点で7勝8分7敗(J2)の13位で、シーズンも折り返し地点を過ぎていた。J1昇格を実現するために必要なJ1参入プレーオフ圏内の6位以内に滑り込むことさえ、客観的に見ればかなり厳しいと言わざるを得なかった。

(つづく)

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