永井秀樹が明かす突然の監督就任の裏側。
ヴェルディ再建へ腹をくくった
永井秀樹 ヴェルディ再建への道
トップチーム監督編(1)
準備期間わずか3日で、Jリーグ監督デビューをした永井秀樹受け入れた社長の想いと
ユースチームへの心残り
「トップチーム監督を引き受けること自体は、何の迷いもなかった」と永井秀樹は答えた。
ただ、ひとつだけ心残りは、まもなく大一番に挑む、愛弟子たちの姿を見ないまま離れなければならないこと――。監督を務めていたユースの現場を離れる未練は、そう簡単に断ち切ることはできなかった。
電撃的な監督就任から1カ月が経とうとしていた8月某日。旧知の仲である永井と久々に会うことになった。
待ち合わせに指定された場所は、東京プリンスホテル。日本に初めてプロサッカーリーグが誕生した1993年、26年前のJリーグ開幕前夜、横浜マリノスとの試合に備えるヴェルディの選手が宿泊したホテルだ。当時22歳だった永井も、日本サッカーの新たな幕開けとなった歴史的な一戦のベンチメンバーに入り、そこから45歳になるまでJリーグの歴史を刻むことになる。
「春先から、羽生(英之)社長からは、何があってもいいように、準備だけはしておくよう言われていた。でも、まさかこれほど突然決まるとは、さすがに予想できなかった」(永井)
クラブ創設50周年という節目の今季、11年ぶりのJ1復帰を目指す東京ヴェルディは7月17日、成績不振によりギャリー・ジョン・ホワイト監督の退任を発表した。
そして新監督に指名されたのは、その5日前にS級ライセンスを取得したばかりの、ヴェルディユース監督の永井だった。
「公式発表の2日前(7月15日)の月曜日に、クラブハウスで竹本一彦ゼネラルマネージャー(GM)と山本佳津強化部長に呼ばれた。会議室に入るなり『オフ明けの明後日17日から、永井にトップチームの監督を任せたい』と告げられた。自分は『現役最後の試合で、大勢のサポーターの前でヴェルディ再建を誓いました。どんな立場でも全力を尽くす覚悟を決めていたので当然引き受けます』と答えた。ただ......」
永井はアイスコーヒーで喉を湿らせ、少し間を置いてから話を続けた。
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