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日本サッカー指導者が中国に進出。
「元祖・天才」菊原志郎が語る実情 (4ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • photo by Sportiva

「日本代表のように、主導権を握るサッカーがしたいです。守備では前からプレッシャーをかけて、全員で連動してボールを奪い、攻撃ではゴールキーパーからパスをつなぎ、多彩な攻撃からシュートチャンスをたくさんつくる。広州富力の2年間ではこのスタイルで子どもたちを成長させ、チームとしての結果も出すことができました。それを見て、クラブからダイレクターのオファーをもらったので、これからはそのサッカーを実現するためにどういう練習が必要なのかを各カテゴリーの監督・コーチに落とし込んで、正しくできているかをチェックする作業がメインになると思います」

 未来へのビジョンを見据えて、目を輝かせる菊原。「すばらしいアカデミーをつくり上げることは、とても大変で時間がかかりますけど、ベストを尽くしてやるしかない」。その言葉の裏には、穏やかな男の熱い決意が滲んでいた。

菊原志郎
きくはら・しろう/1969年7月7日生まれ、神奈川県出身。小学4年生から読売クラブ(現東京ヴェルディ)でプレー。16歳でトップチームの試合にデビューし、以後同クラブの中心選手として活躍。Jリーグではヴェルディ川崎、浦和レッズでプレー。引退後は東京ヴェルディの育成組織や、U-17日本代表、JFAアカデミー福島、横浜FMジュニアユースでコーチや監督を務める。2018年より中国の広州富力のアカデミーで指導を行なっている。

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