橋本英郎は「稲本潤一ら、
えげつない同期のおかげでプロになれた」 (3ページ目)
「そりゃあ、毎日ちゃんと練習に出てきていた同期にしてみれば、『なんであいつが?』となりますよね。実際、いまだにOB会で集まっても、当時の仲間には『中学のときはただ足が速いだけの選手やったし、ユースになってからも技術はぜんぜんやったよな』って言われます(笑)。
だから、まさか僕がプロになれるとは誰も思っていなかったし、プロになったとしても、日本代表になるなんて想像すらしていなかったそうです。でも......自分で言うのもなんですが、人は努力で変われる、ということです。
ただ、プロの世界の『努力』って、口で言うほど簡単ではないですからね。そこに付随するメンタリティも求められるし、努力だって、方向性を間違えば意味がなくなってしまう。そうなれば、ケガも増えるし、得られるチャンスの数も、出会える人の数も、変わってきますしね。
そこを間違わずにこられたから、僕のような選手でもいまだにプレーできているのかもしれない。そこだけは少し胸を張れる部分です」
とはいえ、1998年から始まった橋本のプロとしてのキャリアは、トップに昇格後、すぐに試合に絡み始めた同期の稲本や新井場のように順風満帆とはいかなかった。
事実、1年目はまったく試合に絡めず、同じプロという土俵に立ってもなお、彼らとの「えげつない差」を感じるばかりだったと言う。だが、彼らに見る"才能"が自分にはないという自覚が、「人の何倍も努力をして初めて、自分はこの世界にとどまれる」という考えを芽生えさせたのだろう。
しかもその思いは、2001年に遠藤や山口智がチームメイトになり、さらに2006年には明神智和(長野パルセイロ)や加地、播戸竜二(FC琉球)といった選手が次々と移籍してきたことで、より強くなっていったそうだ。
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