橋本英郎は「稲本潤一ら、
えげつない同期のおかげでプロになれた」 (2ページ目)
「ジュニアユースに加入したときの、イナ(稲本)との出会いはカルチャーショックと言えるくらいの衝撃でした。彼以外にも藤原将平ら、関西選抜に名を連ねている選手が6人ほどいて、トレセンに選ばれたことすらなかった僕とは、明らかに違うレベルでした。しかもユースに昇格したら、そこにイバ(新井場)や町中大輔らが加わってきて......、同期でありながら(彼らはみんな)才能がえげつなすぎて、『ああ、イナやイバみたいな選手が将来、プロになるんやな』って思っていた。
でも、そういう選手が近くにいると、否が応でも彼らについていこうと必死になるじゃないですか? 結果的に、イナは高校2年のときにトップに昇格して、そのあとすぐにイバも続いたので、ユース時代は彼らと一緒にプレーすることがほぼなかったけど、とにかく『イナとイバがプロの基準』と体感できたのは僕にはすごく大きかった。
ただ......、これはあとになって気づいたんですけど、イナは『プロになる』どころか、当時の日本では数少ない『海外でプレーできる選手』という、もっと上のレベルで活躍する選手でしたから(笑)。そうやってJリーガーより、さらに上をいくイナを基準にプロの世界を意識していたおかげで、僕も"プロ"になれたのかもしれない」
そんな同期のすごさを思えばこそ、1998年に自身がトップチームに昇格できたのは驚きだったと言う。というのも、当時の橋本は、高校3年生のときにこそ『なみはや国体』のメンバーに選ばれたものの、それ以外での実績では、年代別の代表に名を連ねていた稲本や新井場らに遠く及ばなかったからだ。
また、両親との「サッカーと学業の両立」という約束を守るべく、高校のテストが近づくと練習を2週間ほど休んで、学業に力を注ぐこともあった。そのため、「僕の(トップチーム)昇格が決まった夏以降は、ユースチームの空気がちょっと悪くなりました」と苦笑いを浮かべる。
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