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橋本英郎は「稲本潤一ら、
えげつない同期のおかげでプロになれた」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 それに比例して、橋本のスケジュール帳も、チームでの練習以外に、個人的に行なっていたトレーニングや治療の予定でびっしりと埋めつくされていった。

「僕って、もともとストイックさに欠けるんです。筋トレも嫌いで、やらなくて済むならやりたくないし、できればボールだけ蹴っていたい。それは今も変わりません。

 でも、同期も含めて、ガンバ時代は恐ろしいポテンシャルを備えた選手ばかり間近で見てきましたから。ヤット(遠藤)は、そもそものサッカー選手としての質が格段に高く、壊れないタイプの選手だったし、ミョウさん(明神)や智さん(山口)は圧巻のフィジカルを備えた、バケモン体質でした。

 それに比べると自分は、体はさほど大きくなくて壊れやすいし、筋肉量も周りに比べても明らかに劣る。つまり、一般人が運動している、くらいの体でがんばらなければいけなかったんです。だからこそ、それを補うものを身につける、プラスアルファのトレーニングをしなければついていけない状況でした。

 しかも、あの時代の選手は、もともと能力の高い選手が努力もするので、これまた厄介なんです(笑)。だから、僕も余計にやらざるを得なくなる。でも、さっきも言ったように僕にはストイックさがないですからね。できるだけ効率のいいトレーニングを選んだり、飽き性だからこそ、あえていろんな種類のトレーニングに取り組んだりと工夫はしていました。

 ですが、今になって思えば、それもよかったというか。飽き性のおかげで、いろんな人の話に耳を傾けて、いろんなことにチャレンジしたし、それによっていろんな人にも出会えた。

 さっきも言ったように、プロの世界での努力って、方向性を間違えば意味がなくなってしまう。それを思えば、見聞を広げることを楽しみながら、そのつど、自分にあったトレーニングを見つけてやってこられたのも大きかったと思います」

(つづく)

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