安部裕葵は中学でプロになると決意。その挑戦期限は18歳までだった (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

――中学に進学すると、エスティーフットボールクラブに所属。このクラブは本田圭佑選手が経営に関わっているクラブとして有名ですね。

「僕が入ったときは別の名前のクラブだったんですが、3年になるときにエスティーフットボールクラブになりました。実際、本田さんが練習に来てくださったこともあり、いろいろな刺激を頂きました」

――高校は単身、瀬戸内高校へ進学するわけですが、その経緯というのは?

「中学時代に『プロになる』という決意をしました。そのうえで、高校ではインターハイに出場したいと。ちょうど、瀬戸内と鹿島の高校や青森山田から声をかけてもらったんです。でも、青森山田は日程の関係で練習会に参加できなくて、練習会に参加した瀬戸内と鹿島の高校の2択になり、インスピレーションというか、『瀬戸内へ行こう』と決めたんです」

――ご家族は賛成してくれましたか?

「反対でしたね。両親はふたりともスポーツをやっていたので、プロになることの難しさをわかっていたんだと思います。だから、小学生のころは、Jの下部組織でプレーするだけじゃなくて、勉強もしっかりやらないとダメだというスタンスでした。それでも僕のプロを目指すという目標を応援してくれるようになりました。でも、瀬戸内は遠いし、過去にプロ選手がいたわけではないので、心配していました。でも、僕は親元を離れて、寮生活をしてみたいという気持ちもありました。なにより瀬戸内は、インターハイ出場校だったのも大きかったです」

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