ユースで裸の王様だった鈴木優磨が「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」 (4ページ目)
――そういう努力の結果、トップの練習に参加することもあったでしょう?
「ありましたね。でも、正直行きたくなかったです。宮崎キャンプのことを思い出すから」
――しかし、見事トップ昇格が決まりましたね。
「たいていの選手は夏くらいまでには、昇格が決まるなかで、僕が決まったのは10月くらいでした。大学の練習会へ行ったりもしていましたし。本当に最後の最後ですね」
――うれしかったでしょう?
「実はそうでもなかったんです。昇格のことは熊谷監督から知らされたんですが、監督も『よく考えて、覚悟を決めろ』と言っていたし、僕自身もプロでやっていけるとは思えなかった。だから両親にも『俺がどんな決断をしても許してほしい』と言って、考える時間をもらったんです」
――それは、断ることも想定して?
「そうです。それくらいの衝撃を宮崎キャンプで味わったので」
――最終的に、トップ昇格を決断したのは?
「いろいろ考えました。でも、単純に考えてみようと思ったんです。やれるかやれないかは別にして、僕がなんのためにサッカーをやってきたのかって考えてみたときに、やっぱりプロになりたいからだろうという思いに至ったんです。だったら、今、目の前にそのチャンスがあるのだから、ここで挑戦するしかないだろうと自分で決めました。」
(つづく)
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