ユースで裸の王様だった鈴木優磨が「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」 (2ページ目)
――意外ですね。
「小学生時代はまっすぐにサッカーやっていましたけど、ジュニアユース(中学)、ユース(高校)となるにしたがって、サッカー以外のことに気持ちが揺れたりして。ヤンチャな僕が道を外れそうになったとき、そのたびに鹿島のレジェンドと言われる人たちをはじめ、たくさんのコーチが軌道修正してくれたんです。奇抜な髪型にしたり、眉毛を剃ってみたりして、坊主頭にしろって何度も叱られました。休みの日は遅くまで遊んでいたりして」
――放課後は練習があるから、友だちとも遊べないですからね。
「サッカーは好きなんだけど、それ以外にも面白そうなことが増えてくるから(笑)。アントラーズは普段の生活態度に対しても厳しい。だから何度も『もう、サッカーをやめる』と言っていましたね」
――それでもやめなかったのは?
「やっぱりサッカーが好きというか、サッカーしかないんですよね。中3のときにクラブユースの予選で負けて、全国大会へ行けなかったんです。そのとき、1週間練習を休みました。『もうサッカーはいいや』とサッカーから離れたくて、コーチや家族にも休むと宣言したんです。気持ちが切れたというか、燃え尽き症候群みたいなものです。
でも、その1週間ずっと遊んでいたわけではなくて、数日経つと、サッカーをやっていないことにストレスを感じるようになったんです。遊んでいても罪悪感あるし、結局、サッカーが好きなんだな、サッカーしかないんだと思いました」
――最初からFWですか?
「小学生時代はいろいろやりましたよ。小5のときはCBもやりましたし。当時は身体も大きかったんです。でも、中学になると周りがどんどん身長が伸びるのに、僕はなかなか伸びなくて。身体の差を感じることもあったけれど、当時の僕はプレースタイルが今とまったく違うテクニシャンタイプだったから、それほど苦労することはありませんでした。ドリブルでゲームを作るような選手だったので。中3くらいから身長も伸びてきて、そこからはずっとFWをはじめとした攻撃的なポジションです」
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