福田正博の心に残るもの。「世界で一番悲しいゴール」を決めた後で... (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

(監督は)いいトレーニングができたら、40分くらいでパッと終えるし、ミーティングでも理路整然としていた。その話を聞いていると、負ける要素なんてないと思えた。そういうところはすごいなって思っていた。でも、公園で見たときは、10歳くらい年をとったみたいな感じだった。彼は選手を管理し、何でも自分でやる昔ながらのタイプだったけど、たったひとりで『いろいろな思いを抱えて仕事をしていたんだな』というのを、そのとき初めて理解できた」

 さまざまなことがあった半年間。その中で生まれたア・デモス監督に対する感情を、すべて水に流す気にはならなかったが、プロの監督という仕事の重さ、つらさや厳しさは理解することができた。

 福田はそのまま声をかけることなく、ア・デモス監督が散歩する姿をしばらく見つめていた。

J2に降格した瞬間を改めて振り返る福田。photo by Sano MikiJ2に降格した瞬間を改めて振り返る福田。photo by Sano Miki

 翌2000年、浦和は1年でJ1昇格を果たした。

 J2降格時と同様、苦しいシーズンだった。それを象徴するように、最終節、延長Vゴールでの昇格決定だった。

「(昇格を決めた瞬間は)ホッとしたよね。ほんと、それだけ。降格したときは得失点差1に泣いた。反対に、昇格したときは勝ち点1差に笑った。どちらにしても"1点"という重みをすごく感じた。

 1年前の悔しさ? それを思い出すことはなかった。よく『あのときの悔しさがあったからこそ......』とか言うけど、悔しさだけじゃ、1年も(気持ちが)もたない。人間なんて、時間が経過すれば(何事も)忘れてしまう。とにかく、目の前の試合を精一杯戦っていくだけだった」

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