福田正博の心に残るもの。「世界で一番悲しいゴール」を決めた後で... (6ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

 そう振り返った福田だが、J1復帰を決めたそのシーズンにおいても、チームに不満を感じていたという。

「1年でJ1に昇格できたけど、結局、浦和は降格したことから何も学んでいなかった。あの降格は、浦和にとって何の意味もなかったってこと。だって、反省していなかったから。

 降格したことで、俺は選手もフロントも、もっとプロフェッショナルになってほしかった。契約形態うんぬんではなくて、考え方がプロになってほしかった。でも、そういうふうにはならなかった。チームはその後、『優勝を目指します』とか言っていたけど、言葉だけだった。本当に優勝を狙うなら、一流の選手をどんどん獲得して、俺のクビも切るとかして、そういう姿勢を見せてほしかった。

 俺自身もプロなら、自分に合うチーム、優勝するための努力をしているチームに移籍するべきだった。それが、プロフェッショナルのあるべき姿だと思うけど、当時は移籍係数とかあって、移籍が制限されて難しい時代だった。だから、内側からチームを変えようと思っていたけど、プロなら動くべきだった。そういう意味では、あの時代、チームも、俺も、アマチュアだったんですよ」

 福田は、当時の鹿島アントラーズやジュビロ磐田のような、チームとして成熟していて、常に優勝を争える強さを持つクラブのことを、うらやましく思っていた。そして自らも、浦和を常に優勝を争えるチームにしたいし、そういうチームでプレーしたい、と思っていた。福田の厳しい言葉の裏には、そんな強い思いがあったのだ。

 最後に聞いた。

 福田にとって、J2に降格したあの1999年はどういうシーズンだったのか。

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