ジュビロ復帰の山田大記。ドイツ2部を生き抜いた経験で代表を目指す (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki photo by Kaz Photography - JL/Getty Images for DAZN

 その答えは結局のところ、「最も必要とされ、巣立ったクラブが磐田だった」というものに落ち着くのだろう。実はドイツとスペインの2部のクラブとは8月末まで交渉を続けていた。クロアチアの1部リーグのクラブからのオファーもあった。さらにJリーグの複数のクラブから打診を受け、なかには破格の条件を提示してきたチームもあった。海外挑戦に後ろ髪を引かれつつも折り合わず、「最後まで自分を待っていてくれた」磐田に感謝し、戻る決断を下した。

「移籍を迷う中で、あらためて自分と向き合う期間になって、いろいろ考えました。結果、戻ってくることになったけど、どこにいても、自分に厳しくできるかというプロの基準を大事にしたい。若手だった頃の自分は、まだ甘かったと思いますから。いまは結果で証明するしかないですね」

 見える景色は確実に変わった。例えば磐田での練習試合。相手の攻撃を受けたとき、味方のボランチが相手と同数にもかかわらず、サイドに釣り出されそうになった。

「待て」

 何気ない戦術的な指示が出せるようになった。ボランチが不用意に外へ動けば、ボールを奪えたとしても中が数的不利になる。それは失点に直結する。その状況判断が瞬時にできるようになった。

「ピッチでどこに立つべきか?」

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