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完成間近だったジュビロの革新的
システム、N-BOXが封印された理由 (5ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

 9月末、復帰後、初のフル出場となった鹿島とのナビスコカップ準決勝の第1戦を終えた名波は、日本代表のヨーロッパ遠征に帯同した。その際に、パリでフィリップ・トルシエ監督から紹介された膝の権威である医師の診察を受けると、思っていた以上に重傷だったことが判明し、ドクターストップを告げられたのだ。

「5月にケガしたあと、5月末にあったアジアクラブ選手権の決勝に間に合うんじゃないかっていうことで、チームに帯同して(開催地の)韓国まで行ったんだけど、結局、腫れが引かなくてやめておくことになった。でも、そこから練習のペースを下げることなくファーストステージに間に合ってしまった。たぶん、2ヵ月ぐらい無理をしたと思う」

 再手術が決まった名波の復帰は、翌シーズンまで持ち越されることになる。

「ファーストステージの最後のほうで復帰したときから、膝と相談しながらのプレーだったから、N-BOXは実際には8試合ぐらいしかやってないんだよね。でも、鹿島戦やガンバ戦は、ほぼ完勝だった」

 レアル・マドリードと戦うために編み出された新戦術・新システムは、クラブ世界選手権の消滅と名波の長期離脱によって、終焉を迎えたのである。

(つづく)

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