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完成間近だったジュビロの革新的
システム、N-BOXが封印された理由 (4ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

大きなショックを受けながら、チームの勝利に貢献し続けた福西 photo by AFLO大きなショックを受けながら、チームの勝利に貢献し続けた福西 photo by AFLO 福西の言葉にも、無念さがにじむ。

「途中から話が全然入ってこなかった。マサくん(鈴木監督)もたしか、ミーティングを途中でやめたんじゃなかったかな。バスの中でも、ロッカールームでも静かで、試合前から負けたチームのような雰囲気だった。それでも試合は待ってくれないから、とりあえずピッチに立ってプレーした、という感じだったと思います」

 それでも磐田は勝った。勝ててしまうのが当時の磐田だった。

 札幌戦から再び連勝街道を歩み始めた磐田は7月7日、ファーストステージ13節の横浜F・マリノス戦で、勝てばステージ優勝という段階までこぎつけた。この試合から名波が復帰したが、5月6日に負傷して以来、実に2ヵ月ぶりの出場だった。

 1-1のまま延長戦へともつれ込んだゲームは、100分に高原直泰が右足でボレーシュートをたたき込み、劇的なフィナーレを迎える。こうしてステージ制覇を遂げた磐田は、残り2試合も1勝1分で終え、わずか1敗でファーストステージを駆け抜けた。

 だが、N-BOXは封印されたままだった。右膝が万全ではない名波の守備の負担を軽減させるため、名波をトップ下に置く従来の3−5−2が採用されたからだ。

 そして、その封印がその後、解かれることはなかった。

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