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【恩田社長の600日】FC岐阜の
スポンサー料を集めるためにしたこと (3ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

 苦労もありましたが、FC岐阜の社長という立場でなければ、簡単にお目にかかれない方々といろいろな話をできたことは、私の人生の大きな財産となりました。多くの経営トップから温かい言葉を頂戴しました。「自分の会社にスカウトしたい」と言ってくださった方、私の現場主義を認めてくださり、「あなたが社長の間はスポンサー続けるよ」と言ってくださった方、自分の子供と同じくらいの年齢の私に対して「恩ちゃんは俺らの仲間や!」と言ってくださった方、他にもたくさんの忘れられない言葉がありました。

 Jリーグの社長の仕事はこういうものだと思います。地元の名士と夢を語り合い、お互いの存在を認め合い、高め合い、ともに地域を盛り上げる役割を担っていくことができれば、その地域は少しずつでも変わっていくと思います。

 今、岐阜県でも経営者の高齢化及び世代交代が起きています。2014年に、岐阜県の30代から40代の若手経営者の集まりに参加する機会がありました。みなさんすごくエネルギッシュでバイタリティにあふれていて、話していてものすごく楽しかったです。こんな人たちと一緒にぎふの未来を10年20年語り合いながら仕事できたら最高だなと、余韻を噛み締めながら帰路についたのをよく覚えています。

 以前書いたように、後援会組織はオールぎふ体制になりましたが、それだけでは不十分だと思います。本当にオールぎふ体制にすべきなのは、FC岐阜の取締役会です。常勤・非常勤ともに不足していると思います。ぜひ、ぎふの名だたる企業から取締役を派遣いただき、経営に対する責任と牽制を担っていただくべきだと思います。お金だけではなく、取締役会もスポンサードいただく。それがFC岐阜にとって、あるべき取締役会の姿だと思います。

 地域全体で支えるひとつの成功事例として、私がベンチマークしているのが大垣ミナモという女子ソフトボールチームです。ソフトボールリーグの1部昇格を目指して、毎年戦っていますが、選手の所属は大垣の企業10社程度に分かれています。1社あたり数名の選手を雇用して、みんなでミナモを支えているのです。地元開催の試合には、これらの企業のトップが集結して、バックネット裏から応援するのです。私も何度か応援に行きましたが、素晴らしい光景でした。FC岐阜もそんな風に応援される日が来ることを願っています。

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