【恩田社長の600日】FC岐阜の
スポンサー料を集めるためにしたこと (2ページ目)
2014年の決算において、営業利益ベースで約1億5000万円のマイナスのところ、会社として2015年は経費削減ではなく、売上拡大により黒字を目指すという大方針を打ち出します。現実的に1億5000万円の利益をプラスするためには、利益率の高いスポンサー広告とチケット販売の売上を大幅に上げる以外、方法はありませんでした。
そうなると体力のある企業からお願いするしかなく、既に数千万円単位で支援いただいているメインスポンサーの各社の経営トップに対して、さらに1千万円単位のスポンサー料増額をお願いするのです。かなりの精神力が必要な仕事でした。
FC岐阜としては、スポンサー料の対価として、スタジアムに掲出する看板や横断幕、あるいはユニフォームなどに、企業名や企業ロゴを広告として入れます。しかし、私は広告の話はまったくしませんでした。相手は、長年"ぎふ"という地に根を下ろして、地元の発展に貢献してこられた企業のトップです。そんな方々には、広告価値ではなく、FC岐阜がぎふの未来を良くすると、信じるに足る存在かどうかを伝えることが重要だと考えました。
私のような若輩者に頼まれたら断れなかったのか、FC岐阜の可能性を信じてもらえたのかわかりませんが、多くの企業が大幅な増額を受け入れてくれました。また、営業スタッフも岐阜県中を飛び回り、増額交渉や新規開拓を行ない、ここぞの場面でうまく私を使い、成果をあげてくれました。結果、1億2000万円ほどのスポンサー料増額となりました。これにより、チームの強化費を削ることなく2015年シーズンを迎えました。
しかし、2014年の17位からの躍進を期待するスポンサーの願いを裏切り、2015年は20位に沈みます。現在のFC岐阜の懐事情は知る由もありませんが、2015年の反動は大きかったと思うので、宮田博之社長以下スタッフは2016年のスポンサー料獲得には、相当ご苦労されたと思います。非常に申し訳ありません。
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