【育将・今西和男】森山佳郎「自分だけの武器を持たないと生きていけない」 (4ページ目)
「寮生だから集まるとすぐに仲良くなるし、和気あいあいとやる雰囲気が受け継がれているんです。年代ごとにキャラクターがあってですね……」
森山はまるで幾多の卒業生をそらんじる体育教師のような面持ちで教え子たちの世代の性格を腑分けしてみせた。
「槙野、柏木のときは確か闘莉王がいた水戸ホーリーホックとやっても五分で戦っていて、あいつらは相手がプロだろうがまったく動じなかった。田坂祐介らの代(1985年生まれ)も練習試合も含めて年間2敗ぐらいしかしなかったですね。田坂世代は羽目を外さないような賢い子が多くいて、その下は森脇をムードメーカーに弾けている奴らが。佐藤昭大ってキーパーも(明石家)さんまさんに似ているから、『さんちゃん』なんて呼ばれてたし、前田は裏で仕切るボスタイプでしたね。プレーでも相手の裏をかくし、僕らの裏もかいてサボる(笑)」
この世代では高萩の活躍も著しい。福島県いわき市からサンフレッチェOBでJヴィレッジ副社長であった高田豊治の紹介で高校から広島に越境してきた高萩は、トップチームへ昇格して広島のリーグ優勝に貢献、その後シドニーワンダラーズ、FCソウルとアジアへプレーの場を広げている。
「あの頃は、高柳のほうが少し上だったかな。高萩はそれを追いかけるようなところからスタートしていったんです。学校でも評判は良かったし、寮の中でもグラウンドでも一生懸命やる姿が印象に残ってます。守備でも高萩は見ていると連続してプレッシャーをかけたり、ボールを連続して引き出したりしていた。そういう意味では普段はおとなしいんだけど、プレーは自己表現をピッチの中でできる子でした。高柳は高柳で堅実な自分の性格通り地道にやっていて、この2人も高め合っていました。地味と言えば、三つ下の横竹翔とか中野裕太とかがプロになった世代(1989年生まれ)はすごい地味で(笑)」
森山が教えた選手たちについて語るとき、慈愛に満ちた表情が続く。
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