【育将・今西和男】森山佳郎「自分だけの武器を持たないと生きていけない」 (2ページ目)
「自分は(筑波)大学でまったく戦力じゃなくて、大学4年生になるまで1試合も出たことがなくて、4年でも出たり出なかったりするぐらいの選手だったんです。たまたま総理大臣杯の1回戦、仙台大学の試合で僕が1得点1アシストして、2対0で勝った試合があったんですけど、その試合を今西さんが見に来られていて、声かけていただいたんです。
ただ、あの頃は教職を取って、学校の先生になってサッカー部とか見られたらいいかな、ぐらいの気持ちでしたから返事をするのが遅くなっちゃったんです。教員採用(試験)も実際受けたし、富士通にも練習参加したんですが、広島は行ってもいないんです。でも、採用試験も落ちてしまって大学のサッカー部の先生と相談したりして、もうマツダしかないだろうと(笑)」
消去法だったのか。もともと森山はFWの選手であったが、大学のコーチであった小野剛から「これからのサッカーはサイドのポジションが重要になってくるから」とのアドバイスで、サイドバックに転向していた。しかし、マツダに入団後もなかなか出場の機会は巡って来なかった。1年目はリーグ戦に2試合、プロ化した2年目のサンフレッチェではカップ戦に6試合したのみでリーグ戦出場は0であった。
「そのときに今西さんに言われたことがあるんですよ。『同じ選手は要らないんだぞ』と。自分だけの武器を持たないと、この世界では生きていけないということをまず教えてもらったんです。僕の場合は、それなら日本一シャトルランできる選手になろうと考えて、ターニングポイントになったんです」
2年後、森山は1stステージ優勝の瞬間を堂々とピッチの上で迎えていた。優勝シャーレを割った濡れ衣まで着せられるほどに存在感を発揮していた。
「『おまえの武器は何だ。何で生きていくんだ』。これは僕がユースの監督11年、コーチとして2年の13年間、選手にずっと言い続けてきたことでもあるんです」
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