鹿実も野洲も『時之栖』をステップに高校サッカー日本一になった

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki

富士の麓のグラウンドで、日本サッカーの将来を語り合う阿山恭弘さん(左)と阿部章さん富士の麓のグラウンドで、日本サッカーの将来を語り合う阿山恭弘さん(左)と阿部章さん高校サッカーの強化を担う
時之栖(ときのすみか)スポーツセンター物語 後編

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 1995年の誕生以来、静岡県御殿場市にある時之栖スポーツセンターはハード面での拡大を図る一方で、ソフト面の充実にも努めてきた。

 毎年1月、当地で開催されている新春高校サッカー強化研修大会、通称『裏選手権』はその最たる例だろう。長らくこの大会の運営を任されてきたのは、株式会社時之栖の執行役員にして、スポーツセンター長である阿山恭弘さん。同社で相談役を務める阿部章さんとともに、時之栖スポーツセンターを誕生時から支えてきたひとりだ。

「時之栖カップ」と銘打ってスタートした、この裏選手権。阿山さんによれば、「阿部先生が、合宿の利用で足しげく時之栖に通ってくれた高校にお礼をしよう」と、全国高校サッカー選手権の都道府県予選で敗退した高校に対し、「テレビで選手権を見るのが嫌だろうから、正月にうちでサッカーをやってはどうか」と声をかけたのが始まりだった。

 開始当時はグラウンドが2面しかなかったため、参加校はわずか6チームに過ぎなかった。だが、6チームが12チームに、12チームが16チームにと、段階的に(グループリーグを行なううえで数が合うように)4チームずつ増やしていき、現在では48チームが参加して行なわれる巨大な大会にまで成長した。今年1月に行なわれた大会は、記念すべき20回目の開催である。

 当初は、出場してくれるチームを集める苦労もあった。厄介なのは、「選手権予選で負けたチーム」が出場対象となることである。出場校を早めに確定させようと、阿山さんは対象のチームが敗退した当日や翌日に、高校の監督に直接電話をし、「残念でした。お正月の大会に出てもらえますか」と打診するわけだが、当然、電話をもらったほうにしてみれば、気分のいい話ではない。阿山さんは昔を懐かしむよう に、笑って言う。

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