本山雅志の挑戦「地元ギラヴァンツですべての力を出し切る」 (2ページ目)
「さまざまな考え方があって、例えば中田浩二(現アントラーズ、クラブ・リレーションズ・オフィサー)はまだ十分サッカーができるのに引退したけど......そのとき、自分はどうしたいのかいろいろと考えてみて......。自分はやっぱり試合に出て、お金をもらってサッカーをするという仕事がしたいんだ、とシンプルな思いに行きついたんですね。
じん帯や半月板などの大きな手術をしたような人なら、身体的につらくなって、そろそろ引退を考える年齢(36歳)になるかもしれないですけど......、僕の場合は幸せなことに大きなケガもなくて、逆に(2008年に)じん臓の手術をしてから体の調子がいい(笑)。2015年シーズンは、出場時間が少なかったけど、コンディションは本当によかったんです。今の自分のコンディションなら、新しい挑戦ができると考えました」
退団発表後、最初に正式なオファーをくれたのがギラヴァンツだった。さらに、柱谷幸一監督が具体的な話をするために鹿島まで来てくれた。それも「大きかった」と言って、本山が続ける。
「考えてみたら、ギラヴァンツの試合を一度も観戦したことがないし、どんな選手がいるのか、どんなサッカーをするのかも知らずに、ギラヴァンツへの移籍を決めてしまったんで、相当失礼ですよね。でも18年前、18歳の自分が進路を決めるときには、存在しなかった地元のプロチーム。そこでプレーすることができるなんて、本当に夢みたいだったから。しかも、J1昇格のため、新スタジアムを建設しているタイミングで必要としてもらえるなんて、幸せですよね」
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