豊田陽平「アジア杯の代表に一丸となって戦う手応えはなかった」 (6ページ目)
「例えば、ここでがつんと来るなというのは予測できます。そこはあえて体を預けてしまえばいい。駆け引きですよね。この呼吸はルーキーじゃできない。自分は何百試合も重ねることで、ようやくそのタイミングをつかめるようになってきました。でも、海外に行ったらそういうタイミングも別なんだと思います。そこで適応することで、自分もより成長できると思うんです。立ち止まったら、選手は終わりですよ」
時間は流れてゆく。
「以前は試合前、息子が“パパは試合で何点取るか”を予言してくれて、的中していたんですよ。でも、最近はまったく当たらない。とにかく7点て言います(笑)。たぶん、7が好きなんでしょうね」
無垢な幼児だけが持つ神秘性は、いつのまにか薄れてしまったということか。
「自分は目の前のできることをやっていきますよ。そのスタンスは自分の中で変わらない。そうしてやっている中で、タイトルや海外移籍や代表など、また新たな選択肢が生まれてくるんだと思います」
今年30歳になる男は、言葉に決意をにじませた。
6 / 6