【ワールドカップ】サッカー日本代表「強烈なキャラ」ばかりのユース時代 「なんで久保建英ばっかり注目されるんだ!」 (3ページ目)
【マルチタレントを右SBで起用】
森保一監督のもとでは、途中出場のカードとして起用されることが多かった。そして、チームメイトの誰もが彼の出場を喜んだ。オフ・ザ・ピッチでの菅原の貢献が、うかがえるトピックである。
「ワールドカップのような国際大会では、事前のキャンプを含めると長期間の活動になります。試合に出る選手がいれば、出場機会が限られる選手もいて、チームとしてもいつもうまくいくわけではない。試合に負けたり、引き分けたりしたあとの雰囲気作りはとても重要で、そういう場面での菅原の取り組む姿勢やチームへの献身的な働きかけは、容易に想像ができますね」
育成年代の菅原は、名古屋グランパスU-18の中心選手だった。CB、ボランチ、FWで起用されていた。
「U-17ワールドカップではCBの瀬古をケガで招集できなかったので、ラウンド16のイングランド戦ではCBをやってもらいました。チーム事情から左サイドバックで起用しても、うまくやってくれました。
その時々の試合の状況、対戦相手、ピッチコンディション、気候などのさまざまな要素を判断材料にして、自分のプレーを決断できる選手だったと思います。個人戦術がしっかりしていたのでしょう」
そのマルチタレントを、森山監督は右サイドバックで起用した。自身も右サイドバックだった指揮官の意図は?
「菅原は爆発的なスピードがあるわけではないですが、ビルドアップの落ち着きやキックの精度は、当時から非常に高かった。20〜30メートルのクサビのパスを、グラウンダーでスパンと入れたり。
クロスに関しては、いわゆる放物線を描くようなクロスというよりも、アーリークロス気味にグラウンダーで速いボールを入れたり、ファーストライン(相手の守備の第1列)を抜けるようなかなり速いクロスや、セカンドライン(の味方)へ平行なパスを通したり──そういった選択肢を使い分けて、かなりいいボールをペナルティエリアに差し込むことができていました」
(つづく/文中敬称略)
◆森山佳郎・後編>>「U-17代表に選ばないでくれ!と言われたことも」
【profile】
森山佳郎(もりやま・よしろう)
1967年11月9日生まれ、熊本県熊本市出身。筑波大学から1991年にマツダ(現・サンフレッチェ広島)へ加入。球際に強いDFとしてJリーグ草創期の広島を支え、1994年のサントリーシリーズ優勝に貢献する。のちに横浜フリューゲルス、ジュビロ磐田、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプレーし、2000年に引退。同年から広島ユースの監督などで手腕を発揮したのち、2015年からはU-15〜U-17日本代表監督を歴任し、久保建英らを擁して世界大会を戦った。2024年からはベガルタ仙台の監督を務める。日本代表・通算7試合0得点。ポジション=DF。身長176cm。
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
【画像】FIFAワールドカップ2026出場国 フォーメーション&メンバー&日程
3 / 3

























