【ワールドカップ】日本代表が確立した「全員サッカー」のカタチ だが強豪になるにはいくつかの弱点がある
ワールドカップ各国のカタチ――現代戦術と代表チームの葛藤
VOL.4:日本
世界のサッカーは、ポジショナルプレーの普及によるビルドアップの進歩と、それに伴うハイプレスの普及で、全員守備が必須な時代に突入しようとしている。しかし、ワールドカップを戦う代表チームは、それぞれ特別な国民的スターを抱えているために、全員守備に舵を切れない事情がある。
ひとりのスターを残りのフィールドプレーヤーで支える「1+9」か、それともスターを入れない「10」か。強豪国それぞれの現状を探る。
【日本サッカー進化の歴史】
日本のサッカーとは何か。長年探し続けていた問いにひとつの答えを出せたのが現在の日本代表だと思う。
自らのスタイルを確立させ、W杯に臨んだ日本代表 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 1968年メキシコ五輪の銅メダルでサッカー人気に火がついた。日本選手は勤勉でよく走り、個人技よりも集団性のプレースタイルだった。釜本邦茂という別格の個があったとはいえ、日本サッカーの形らしいものは見えていた。
ところが、その後は長い停滞期が続き、W杯はおろか、五輪にすら出場できなかった。チームプレーを長所ととらえていたのだが、そのベースになる技術レベルが停滞してしまっていたからだ。
1988年ソウル五輪の予選で指揮を執った石井義信監督は「日本よりはっきり個人技が下なのはカンボジア、ネパール、マカオくらいだった」と述べていて、中東勢や韓国はおろか北朝鮮、タイ、マレーシア、香港にも技術レベルで上回れていないという認識だった。何人かは図抜けた技巧派がいたものの、総合的に技術不足でチーム戦術以前の段階だった。
Jリーグの開幕、育成改革などの成果もあり、1990年代には一気に技術的な向上が実現したが、そこで浮上したのが経験不足。ハンス・オフトが初の外国人監督となり、その後も欧州・南米の知見によって経験不足を埋めていく。2000年代に入ると選手の外国への移籍が徐々に増え、個々の経験不足は埋められていった。W杯も1998年大会以来、連続で出場を続けた。
しかし、2006年大会後にジーコ監督は体力・体格不足を指摘し、アルベルト・ザッケローニ監督、ヴァイッド・ハッルホジッチ監督からも強度不足、とくにセンターバック(CB)とGKの世界基準と比しての低身長が指摘される。その時の雰囲気としては「わかりきったことを言われても」という感じだったのだが、外国人から見れば足りないものは足りないというだけである。
日本はどういうプレーをすべきか。その際に考えられていたのは長所で短所をカモフラージュすることだった。間違いではないが、その時点での資源であるべき姿を決めてしまうのは、自ら可能性を狭めるだけだと当時から思っていた。その時点での「日本」を超越していかなければ進化はないと。
すると、思いのほか早く日本は「日本」を超越していった。
現在、代表選手の大半は欧州リーグでプレーしている。CBとGKの体格問題もあっさり解決された。技術、体力、経験が高いレベルで揃い、いよいよ「日本サッカー」を確立すべき時期が来たわけだ。
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著者プロフィール
西部謙司 (にしべ・けんじ)
1962年、東京生まれ。サッカー専門誌「ストライカー」の編集記者を経て2002年からフリーランスに。「戦術リストランテ」「Jリーグ新戦術レポート」などシリーズ化している著作のほか、「サッカー 止める蹴る解剖図鑑」(風間八宏著)などの構成も手掛ける。ジェフユナイテッド千葉を追った「犬の生活」、「Jリーグ戦術ラボ」のWEB連載を継続中。






















































