検索

【サッカー日本代表】清武弘嗣が悔やんだワールドカップの落とし穴 「あの試合が4年間で一番日本らしさを出せなかった」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Yuhei Harayama

【違う考えを持っている選手もいた】

── 惨敗に終わったこのワールドカップの敗因は、どこにあったのでしょうか。

「正直、本大会でも迷いがあったと思います。あらためて代表チームを作っていくことの難しさを感じましたね。今、冷静に考えると、最後のコロンビア戦はチームとしてバラバラだったのかなって。

 選手とスタッフの絆(きずな)は強かったし、最後の解散式の時にザックさんは泣いていました。何人かの選手も泣いていましたね。それくらい絆が強かった分、結果を出せなかった悔しさは大きかったですよ。

 ただ、強い結びつきがあったとしても、選手も生き物だから、意見や考え方がまとまらない部分もある。監督の求めることを納得している選手もいれば、違う考えを持っている選手もいたと思います」

── 折り合いがつかない部分もあったと?

「落としどころを見出せなかったのかもしれません。どこまで選手に求めて、どこまで選手の意見を聞くのか......とか。

 今の代表って、けっこう選手主導じゃないですか。ヨーロッパでプレーする選手たちが多いし、経験値も高いから、そういったチーム作りも可能なんでしょうけど、あの時はまだ海外組が半分くらいだったんですよね。そのなかで意見をすり合わせることが、難しかったんだと思います」

(文中敬称略/つづく)

◆清武弘嗣・後編>>ザックジャパンの敗因「信じてやりきれたかというと......」


【profile】
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分トリニータU-18から2008年にトップチームへ昇格。プロ3年目の2010年にセレッソ大阪へ移籍し、頭角を現す。2012年からはニュルンベルク(ドイツ)へ移籍。その後、ハノーファー→セビージャ(スペイン)でプレーしたのち、2017年にC大阪へ復帰、2024年にサガン鳥栖への期限付き移籍を経て、2025年に古巣・大分へ完全移籍する。2012年ロンドン五輪、2014年ワールドカップ出場。日本代表・通算43試合5得点。ポジション=MF。身長172cm。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

【画像】FIFAワールドカップ2026出場国 フォーメーション&メンバー&日程

4 / 4

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

キーワード

このページのトップに戻る