【サッカー日本代表】清武弘嗣がサブを受け入れた2014年ワールドカップ 「3人が偉大すぎて超えられなかった」 (4ページ目)
【欧州遠征後から立場が苦しくなった】
── ただ、ワールドカップを決めたあとに行なわれたコンフェデレーションズカップでは、日本はブラジル(0-3)、イタリア(3-4)、メキシコ(1-2)に3連敗を喫してしまいました。自信を打ち砕かれるような部分はありましたか。
「あの時くらいからですかね......迷いというか、チームとしてこのままでいいのかっていう空気感が生まれてきたのは。アジアでは勝てたけど、世界相手には勝てなかったわけなので、ワールドカップを見据えれば、ちょっとやばいなという危機感はありました」
── その後、国内組中心で臨んだ東アジアカップが行なわれ、そこで優勝したメンバーが徐々にチームに組み込まれていくようになりました。戦い方にも変化が見られるようになり、それまでの主力がサブに回ることもありました。ザッケローニ監督にも迷いが見られ、選手たちからの求心力も弱まったように感じられたのですが、実際にはどうだったのでしょうか。
「いや、別に監督と何かあったとかはないですね。ただチームとして、悩んでいた部分は正直あったと思います。コンフェデもそうですし、その後の東欧遠征でもセルビア(0-2)とベラルーシ(0-1)に負けてしまった。なかなか勝てなくなって、このままではやばいと思っていましたし、僕自身もやっていてうまくいっていないと感じていましたから」
── ただ、その後に行なわれたヨーロッパ遠征ではオランダ(2-2)と引き分け、ベルギーに勝利(3-2)します。何が変わったのでしょうか。
「大きな変化があったわけではないですが、(山口)蛍(セレッソ大阪)とか、サコ(大迫勇也/鹿島アントラーズ)とか、(柿谷)曜一朗(C大阪)とか、東アジア組のメンバーがけっこうチームにフィットしてきて、うまく形になっていったところはありますね。ただ逆に、僕はあのあたりから苦しくなりました」
── 具体的に言うと?
「当時はニュルンベルクでプレーしていたんですが、チームが不調で僕自身もなかなか結果を出せない状況でした。代表でもあまりいいパフォーマンスを出せず、オランダ戦でもベルギー戦でもスタメンで出たんですが、前半だけで変えられてしまいました。
いろいろ試されているなとは思っていたんですけど、結果を出せずに悔しかったですね。ただ、チームとしては結果を出せたので、あの2試合はすごくいいきっかけになったと思います」
(文中敬称略/つづく)
◆清武弘嗣・中編>>「4年間で一番日本らしさを出せなかった試合」
【profile】
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分トリニータU-18から2008年にトップチームへ昇格。プロ3年目の2010年にセレッソ大阪へ移籍し、頭角を現す。2012年からはニュルンベルク(ドイツ)へ移籍。その後、ハノーファー→セビージャ(スペイン)でプレーしたのち、2017年にC大阪へ復帰、2024年にサガン鳥栖への期限付き移籍を経て、2025年に古巣・大分へ完全移籍する。2012年ロンドン五輪、2014年ワールドカップ出場。日本代表・通算43試合5得点。ポジション=MF。身長172cm。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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