サッカー日本代表の「史上最強」を検証 大敗した2006年大会からの20年でブラジルとの「差」はどれだけ縮まったのか
「史上最強」と言われる日本代表は、何が変わり、何が変わっていないのか。過去のワールドカップの印象的な敗戦を検証することで見えてくるものがある。2006年ドイツワールドカップ、ブラジル戦から見えてきたのは――。
2006年、ドイツワールドカップ。ジーコが率いた日本代表は当時、大きな期待を背負っていた。
2002年日韓ワールドカップで、地元の声援を後押しにベスト16に進んでいたことで、それ以上の躍進を遂げるだろうとの期待感が高まった。中田英寿を筆頭に、小野伸二、中村俊輔、小笠原満男、稲本潤一などMF陣の人材に恵まれており、「セレソン(ブラジル代表)で"黄金のカルテット"(1982年スペインワールドカップのブラジル代表の4人の中盤)の一員だったジーコなら歴史に残る大会にしてくれるのではないか」と......。
しかし、結果は失望に終わった。
2006年ドイツワールドカップ、ブラジルに敗れてグループリーグ敗退が決まった日本代表 photo by Masato Fujita 第1戦はオーストラリアに失意の逆転負けを喫し、いきなり追い込まれてしまった。第2戦のクロアチアにはどうにか引き分けたが、GK川口能活がPKをストップするなど、神がかったセービングを繰り返さなければ敗れていただろう。グループリーグ最終戦のブラジルとの試合では、2点差以上をつけて勝つことが決勝トーナメント進出の条件になっていた。
「もろさ」
それがジーコジャパンの正体だった。相手と接触しながらボールを受けるとバランスを崩す。球際で負け、相手に逆を取られる。何より勝負どころで、ひ弱かった。
「世界と比べてフィジカルが弱い」
当時、ジーコが大会を総括したときに出た言葉は、あまりにも"今さら"だったことで批判も出た。その後、ケガ人の多さなどへの不満が真意だったとも釈明しているが、それも含めてフィジカルの弱さがあったのは確かだろう。
オーストラリアに逆転された試合は典型だった。中村俊輔が蹴ったクロスがそのままゴールに入る"幸運"で先制したあとは、じりじりと消耗した。後半、交代選手の投入で勝負に出たオーストラリアの攻撃を防ぎきれなかった。相手の単純な高さ、速さに後手に回っていた。要所にうまい選手はいたが、真剣勝負では局面を制することができなかったのである。
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。


