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【サッカー事件簿】南アフリカワールドカップで日本が前評判を覆したわけ 第3GKでメンバー入りした川口能活の重要なタスク (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

 結果、日本は南アフリカワールドカップで前評判を覆す快進撃を見せ、グループリーグを突破。ラウンド16でパラグアイ相手にPK戦の末に敗れたが、チームは確かに"ひとつになって"ワールドカップを戦い抜いた。

 川口は、チームがグループリーグで2勝してベスト16まで進んだことで、自分の役割を果たせた、という満足感を得ることができた。

「パラグアイ戦に負けたあと、(メディアに対しては)『代表はまだあきらめていない』というコメントをしたんですけど、正直、自分のなかでは代表チームにおける自分の役割は終わった、選手としてやるべきことはもうないな、と思いました。

 ワールドカップでは、過去3大会はプレーヤーとして関わり、自分がプレーしたときには勝てなかったけど、(第3GKで臨んだ4度目の)南アフリカ大会ではみんながひとつになって勝つことができた。自分を(メンバーに)呼んでくれて、最後にすばらしい経験をさせてくれた岡田さんには、本当に感謝しかなかったです」

 川口はその後、2013年まで磐田に在籍し、J2のFC岐阜、J3のSC相模原でプレーしたあと、2018年シーズンを最後に現役を引退した。

 引退セレモニーには、盟友の楢﨑が花束を持って労いの言葉を述べた。そして翌年、楢﨑の引退セレモニーにおいて、今度は川口が駆けつけて花束を手渡した。川口と楢﨑は長年、日本代表の守護神の座を競い合ってきたライバルだが、同じGKだからこそ、理解し合えることもたくさんあったのだろう。

 川口は今、古巣・磐田のGKコーチに就任。南アフリカワールドカップでともに戦った川島を指導しながら、日本の将来を担う後進の育成に尽力している。

「まさかワールドカップで一緒に戦った永嗣と、磐田でともに仕事をするとは思っていなかった(笑)。永嗣は完成された選手ですが、さらによくなるところがあるし、そこはコミュニケーションを取りながら進めています。彼から学ぶこともあるし、(これからも)自分の経験などを生かして、彼を含めてチームにいるGKが成長する手助けをしていきたいですね。

 そうして、彼らが活躍して、チームの勝利に貢献してくれる姿を見るのが楽しい。それが、今の自分の生きがいです」

 川口は、そういって笑みを見せた。

 1996年アトランタ五輪から2010年南アフリカワールドカップまで14年間、川口は日の丸をつけて戦ってきた。2021年に行なわれた東京五輪では五輪代表のGKコーチを務め、今や日本代表の正GKとなった鈴木彩艶、大迫敬介らを指導した。

――今度は、コーチとして日本代表に関わっていきたい、という思いはありますか?

「そうですね。代表は自分にとって特別な場所ですし、あらゆる面で成長させてもらった。いつか指導者として日本代表に、という思いは強くあります」

 川口には、日本代表という肩書きがよく似合う。

(文中敬称略/おわり)

川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ。静岡県出身。清水市商高を卒業後、1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。2年目にはレギュラーとなり、チームのJリーグ初制覇に貢献した。2001年にはイングランド2部のポーツマス入り。日本人GKとして初の欧州移籍を果たす。2003年からはデンマークのノアシェランでプレー。2005年に帰国し、ジュビロ磐田へ移籍。その後、J2のFC岐阜、J3のSC相模原でプレー。2018年シーズンを最後に現役を引退した。その間、年代別代表、日本代表でも活躍。1996年アトランタ五輪に出場。ワールドカップには、1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会と4大会でメンバー入り。国際Aマッチ116試合出場。

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