【サッカー事件簿】ドイツワールドカップ、中田英寿がブラジル戦の前日に行なったシュート練習 「1本、1本に魂がこもっていた」 (4ページ目)
今の代表は強いので、そういうことがほとんどないですけど、その頃はサポーターの代表への思いの強さが厳しい言葉になって出ていた。自分は、それがふつうだと思っていたので、それほど気にはしていなかったです」
ブラジル戦を前にした最後の練習でも不穏なムードが漂っていたが、すべてのメニューを消化すると、選手たちはいつもどおり水分を取りながら話し合ったり、軽いジョグでクールダウンに努めたりしていた。
そんななか、中田英寿がシュート練習をするというので、川口は楢﨑正剛、土肥洋一とともにゴールマウスに立った。
「僕ら3人が代わる代わる立つなか、ヒデは100本ぐらいシュートを打ちました。それだけ打てば、最後のほうはパワーがなくなるんですけど、全然ボールスピードが落ちないんです。『全部決める』みたいな気迫がすごくて、1本、1本に魂がこもっているようなシュートでした。
このとき、僕はヒデが引退を決めていたのを知らなかったです。でも、このシュート練習を見て、ヒデは自分のキャリアのすべてをかけて次の試合を戦うんだな、というのをすごく感じました」
その姿を、他の選手たちは遠巻きに見ていた。一緒にシュートを打つ選手はおらず、やがてすべての選手がロッカーへと消えていった。
「僕らはヒデを目標にして、選手として尊敬していました。1998年のフランス大会から代表チームの中心で、ずっと彼がチームを引っ張ってきたんです」
日本が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会から一緒に戦ってきた中田英のシュートを受けた川口は、「ブラジル戦で決めてほしい」と願った。
(文中敬称略/つづく)
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ。静岡県出身。清水市商高を卒業後、1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。2年目にはレギュラーとなり、チームのJリーグ初制覇に貢献した。2001年にはイングランド2部のポーツマス入り。日本人GKとして初の欧州移籍を果たす。2003年からはデンマークのノアシェランでプレー。2005年に帰国し、ジュビロ磐田へ移籍。その後、J2のFC岐阜、J3のSC相模原でプレー。2018年シーズンを最後に、現役を引退した。その間、年代別代表、日本代表でも活躍。1996年アトランタ五輪に出場。ワールドカップには、1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会と4大会でメンバー入り。国際Aマッチ116試合出場。
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