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稲本潤一がイングランドで痛感した世界の壁 「ドログバは一番強烈。パワーと決定力は図抜けていた」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【強くてデカい選手がたくさんいた】

── フラムのスタジアムは、なかなか味わい深いですよね。

「クレイヴン・コテージですよね。けど、僕がいた時は使ってないんです。ちょうど改修の時期と重なったので、代わりにQPR(クイーンズパーク・レンジャーズ)のスタジアムを使っていました。それで僕がいなくなってから改修も終わったんですけど、僕がいた2年間だけは使えなかったんですよ。

 でも、本当に貴重なスタジアムだと思います。対戦相手として何回か試合をしたことはあるんですけど、やっぱりあれだけピッチとスタンドが近いと、ファンの声はよく聞こえてきましたし、臨場感がすごかったですね」

── では、海外クラブ時代に衝撃を受けた選手を教えてください。

「ひとり挙げるとすれば、(ディディエ・)ドログバですね。ウェスト・ブロムウィッチの時に対戦したんですけど、(ジョゼ・)モウリーニョが就任したチェルシーが強かったというイメージも含めて、ドログバのインパクトは大きかったです」

── やはり身体能力はすごかったですか。

「そうですね。ドログバはそんなに足もとがうまくないんですけど、パワーと決定力は図抜けていましたね。対峙したわけではないので直には味わっていないですが、その力強さだったり、身体の使い方は優れていたと思います。点を取ることに特化したフォワードだったなっていう印象がありますね」

── プレミアリーグにはドログバ以外にも、いわゆる"怪物級"の選手がたくさんいましたよね。

「強くてデカい選手がたくさんいた時代ですからね。でも、そのなかでもドログバが一番強烈だったと思います」

── 海外クラブ時代にやりやすかったチームメイトは誰になりますか。

「『すごかった』で言うと、アーセナルの選手になるんですけど、『やりやすかった』で言えば、フランクフルトの時にミヒャエル・フィンクっていう選手がいたんですよ。その彼と中盤で組んだ時は、自分の持ち味を出しやすかったかなとは思います。

 当時の僕はアンカーみたいなポジションで、後ろでどっしり構えるスタイルでやっていたんですけど、フィンクが出ている時は前目にサポートに行けたり、前線に絡んでいくことができたんです。ふたりでバランスをうまく取りながらプレーできたので、すごく印象に残っていますね」

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