ブラジルW杯で青山敏弘が長谷部誠に指摘された「もっと落ち着いてプレーできるだろ」の意味 (2ページ目)
【W杯の切符をつかんだ柿谷曜一朗へのパス】
翌2012年、ミシャの後任に就いたのは、森保一監督だった。トップチームを率いた経験のない新監督もまた、青山に対する信頼感は揺るがなかった。
「あの年は、キャンプでめっちゃ走ったんですよ。ずっと走っていて、身体がパンパンになって、1次キャンプの終わりのころに腰をやっちゃったんです。それで2次キャンプはほとんどやれなかった。
なのに、開幕前に森保さんから、アオにはやってもらうからねって言われたんですよ。ここ数年、コンディションが上がらず、キャンプもろくにやっていない選手ですよ。なのに、絶対にいてもらわないと困るからって。驚いたけど、その言葉で覚悟を決められました」
その年、新人監督に率いられた広島は下馬評を覆し、悲願のJ1制覇を成し遂げる。青山も完全復活を遂げ、全34試合に出場。優勝を決めたセレッソ大阪戦では、見事なゴールも奪っている。
「それまでは自信なんて全然なかったんですよ。ずっと結果を出せていなかったから。でも、あの優勝で初めて成功体験を味わうことができた。その意味では、あそこでようやく自信が生まれたと思います。
あの年はベストイレブンにも選ばれたんですけど、選ばれるとは思ってなかったから、本当に驚いて。優勝もそうだし、ベストイレブンもそう。あの時に初めて自分の価値っていうものを認識できたと思います」
2013年の連覇にも貢献した青山は、その年に開催された東アジアカップで日本代表に初招集される。その大会で好パスを連発し、優勝の立役者となった青山は、翌年のブラジルワールドカップメンバーに滑り込むこととなった。
実はこの東アジアカップで、ワールドカップに出場できる手応えをつかんでいたという。
「最初の中国戦の前半は何もできなかったんですけど、ハーフタイムでザックさん(アルベルト・ザッケローニ)に柿谷(曜一朗)の動き出しを見ておけ、絶対に見逃すなよと言われたんです。それで後半の早い時間帯、柿谷の動き出しに合わせて裏にボールを出して、ゴールを演出したんですね。
そのあとに交代になってザックさんと握手をした時、日本語でおめでとうって言ってもらえた。その時に認められたなと思ったし、決勝の韓国戦でも同じような裏へのパスで柿谷のゴールをアシストできた。これで自分にも可能性があるなと思えたんですよね」
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