若き日の青山敏弘がぶち当たったプロの壁 ミシャとの出会い、そして生涯忘れることのない悔しさ
引退インタビュー
青山敏弘(サンフレッチェ広島)前編
2024年12月1日、エディオンピースウイング広島では、青山敏弘の引退セレモニーが行なわれていた。
サンフレッチェ広島ひと筋で21年間プレーしてきたバンディエラ(長くひとつのクラブに所属している選手。フランチャイズプレーヤー)は寒空の下、半袖のユニフォーム姿のまま、15分近くにわたって感謝の辞を述べ続けた。
セレモニーが終わり、しばらくしてミックスゾーンに現れると、「まだ何かあると思うんだよね。終わっていないので」と不敵な笑みを浮かべた。
この日の試合に勝利し、チームが逆転優勝の可能性を残したことで、青山のストーリーには終止符が打たれず、まだ続きがあったのだ。
翌週に行なわれたACL2の試合で見事にゴールを決めた青山は、週末のガンバ大阪との最終節でメンバー入りを果たした。結局、ピッチには立てず、試合にも敗れたものの、青山は最後までその「何か」を信じ続けていた。
青山敏弘に21年間のプロサッカー人生を振り返ってもらった photo by Fukusumi Tomoeこの記事に関連する写真を見る「ここからが勝負だろうな、と思っていたので。最後にどうなるか。結局、(最終節でヴィッセル神戸が勝って広島の優勝は)成し遂げられなかったけど、その場にいさせてもらえたのはありがたかったし、自分でもメンバー入りするところまでよく上げてこられたなと。今年1年、もっとできたなって今となっては思うんだけど、それでも最後まで優勝争いができたっていうのは、幸せなことでした」
リーグ優勝にあと一歩まで迫りながらも、ついにたどり着けなかった。それでもその悔しい結末は、多くの試練を味わってきた青山らしい最後だったと言えるかもしれない。
青山がクラブから2024年限りでの契約満了を告げられたのは、このセレモニーからおよそ1年前のことだった。
シーズンオフの強化部との面談の際に、足立修強化部長から思わぬ言葉を聞かされた。足立がその職を辞し、来季(2024年)からJリーグのフットボールダイレクターに就任するというのだ。
スカウトとして自身をプロの世界に導き、その後は責任者として広島の強化に携わってきた人物だ。青山にとっては20年間の歩みを見守り続けてくれた恩人である。
何も知らなかった青山は、思わず問い詰めた。
「じゃあ、誰が自分に最後の言葉を告げるんですか?」
すると足立は、意を決して、こう言った。
「じゃあ、俺から言う。アオ、来年でラストだ」
それは、広島と青山の蜜月の終焉を意味した。
1 / 5
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。